【車屋四六】三菱初いっちょ前登録車は

コラム・特集 車屋四六

三菱初の登録車は三菱500だが、こいつは例の通産省国民車構想ターゲットで軽自動車に毛の生えたような物。本格的登録車となればフォードアセダンのコルト1000だろう。(写真トップ:コルト1000。アメリカンスタイルで実に格好良かった)

まず三菱500だが、ライバルのパブリカにはスマートさで劣るので、500をベースにコルト600に変身する。スタイリングの重要さに目覚めた垢抜けた姿は、500とは雲泥の差があった。

このころ三菱は四輪車開発に傾倒、上記二車の開発は名古屋製作所。またオート三輪“みずしま”で車造りに経験のある水島製作所からは、軽のミニカが誕生する。
次に名古屋で600の上級バージョン、1000が開発される。

コルト600:田舎臭い姿の500が一変してスマートに

コルト1000は、600とは別物で、三菱初のフォードアセダンだったし、水冷エンジンも初物だった。そのKE43型は、B72xS62㎜で判るように、回転馬力指向のオーバースクエア型。直列四気筒が斬新なOHVで977cc、ツーバレル・キャブ、圧縮比8.5で51ps/6000rpm、7.3kg-m/3800rpmの高性能エンジンだった。

前輪Wウイッシュボーン+後輪リーフリジッドのFRは当時の常識仕様。四速フルシンクロが斬新で、最高速度125㎞が可能だった。

63年(昭38)、未だこのジャンルにはサニーもカローラも存在せず、当時のライバルは、ブルーバード、日野コンテッサあたり。

きわめて斬新な姿は元GMデザイナー、ハンス・ブレッツナーが関わっていたからで、インテリアもアメリカン。コラムシフト、ホーンリング付きステアリングハンドル、横一列に並ぶ速度計、ホワイトサイドウオールタイヤなど、何処も斬新なアメリカンだった。

スタンダード価格は東京渡しで56万8000円だが、DXならラジオもヒーターも付いて64万8000円で買い得気分だった。

が、サラリーマンには未だ手が届かぬ高嶺の花。自営業や管理職なら、そろそろ手が出せるかなという頃になっていた。

ちなみに、昭和38年、大卒初任給がようやく2万円の大台に乗るか乗らないかの頃。憧れの乗用車でも、一台買うのに月給の2年分3年分が必要では、とてもじゃないが諦めるほかなかった。

その頃、首都高料金100円、タクシー初乗り料金が100円で釣り銭が来る頃で、東京オリンピック開催直前らしく日本中に活気がみなぎり、所得も年々右肩上がり、66年にサニーとカローラが登場して、月賦なら買えるかなという時代到来直前だった。

で、ブルーバードやコロナが大衆車時代到来と煽っても絵に描いた餅だったが、本当の大衆車、マイカー時代が幕を開くのが66年(昭41)だったと云って良かろう。

もう少しパワーというユーザーの要望で、コルトは65年に1500を発表。こいつは70馬力に物を云わせて最高速度が145㎞に跳ね上がる。

が、66年になると1100、そして68年に1200を登場させるのは、快進撃をするサニー1000、カローラ1100を意識したのだろう。

こうしてコルトは、三菱念願の本格的小型乗用車の開拓という責任を果たし、大衆車時代に突入した我が国の乗用車市場に投入する新型車にバトンタッチをする。

それがコルトギャラン、後のギャランは69年の東京モーターショーが、我々への初お目見えだった。

日本グランプリを走った三菱500。後方にギャランGT