【車屋四六】誰もが憧れた高級車

コラム・特集 車屋四六

GMの最上位ブランドのキャデラックも、近頃のベンツ、BMW全盛の日本ではステイタス力がない。90年代に入りクオリティーを取り戻したのに、キャデラックのステイタス復権はなかった。

アメリカ人の乗用車用語でのクオリティーは、品質、信頼性、耐久性、仕上がりの良さなどを指すようだ。欧米人の価値判断は、日本人の馬力、加速、価格ではなく、クオリティーを優先する。

一時期、キャデラック、いやアメ車全体のクオリティーは最低だったが、信頼感を取り戻したのは90年代登場のセビルあたりからで、他のシリーズも含めて、円高で実に買い得高級車になったのだが、日本市場で、かつての人気を取り戻せないでいる。

この不人気の期間はとても長かった。私見では、クオリティー低下の始まりは60年代半ばで、回復が90年頃だから実に四半世紀に及んだのである。

「いつかはクラウン」のフレーズのように、日本では「いつかはキャデラック」だった。で、60年代初頭までのキャデラックは、ステイタスシンボルのトップブランドだったのである。

WWⅡ後の日本では、一流企業の経営者、大臣、高級官僚、成金のほとんどがキャデラックだった。また皇室もリムジンを購入、在外日本大使の公用車もキャデラックだった。

そんな時代の最終期が62年型だと思っている。そんな最盛期の最上級シリーズ、エルドラド・ビアリッツ・コンバーチブルの走る姿を写真に撮った。59年型だが、撮ったのは91年である。

鈴鹿サーキットのF1グランプリを見ての帰り道、駐車場からの渋滞道路。オーナーは、白い口髭にテンガロンハットで、カーネル・サンダースを彷彿とさせる日本人離れした姿の紳士だった。

59年頃のアメリカ車は、WWⅡ後の豊かさを追い風に、より大きく、より大馬力に、と競い合った最盛期の産物で、伸びきった全長は5620㎜、車重も2300kgもあった。

ちなみにホイールベースは3200㎜。OHVエンジンはV型8気筒で6240cc、圧縮比10.5で345hp/4800rpm。フルサイズ当たり前のアメリカ車の中でも、でかいズー体、大排気量、大馬力だった。

歩く私を追い越したキャデラック・コンバーチブルの後ろ姿

コンバーチブルだから当然高い値段は$7401。高級車の最上とくれば、生産量も少なく、わずか1320台がつくられたに過ぎないキャデラックである。

最長ボディーの後端には、大きな尾ひれが誇らしげだった。40年代の終わり頃、フォードやスチュードベイカーで始まったジェット戦闘機イメージの取り込み、この頃が熟成の最終期だった。

図太い排気音と豪快な加速感、ソフトな乗り心地、ゆったりとロールしながらのコーナリング、ハードなドイツ車とは異質な操安性が、アメ車愛好家の憧れだったのだ。

足が伸ばせるほど広い後席、三人掛けベンチシートの前席、パワーステアリング、パワーシート、エアコン、電動の幌は極低速なら走行中に開閉できた。

豪華な装備、堂々の姿は日本の最上級クラウンやセドリックとは、誰が見ても雲泥の差だった。

ジェット戦闘機イメージの尾翼が最高に発展した時代のキャデラックでもあった。以後徐々にフィンは小さくなり消えていく

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