【車屋四六】珍奇チェコのタトラ

コラム・特集 車屋四六

リアエンジン・リアドライブ、通称RRは、古今東西を通じて少数派だ。もっとも19世紀の自動車誕生後の10年間ほどは、ほとんどがRRだったのだが。

WWⅡ以後有名は、VWビートル、ポルシェ356→911、ルノー4CV。日本ではスバル360とサンバー、スズキフロンテ360(愛称コークボトル)とセルボ、日野ルノー4CV,コンテッサなど。

将来期待されながら短命だったGMコルベアと、老舗に押し潰されたタッカーは珍しいアメリカ製だが、写真のRRを見て、直ぐにうなずける人は少なかろう。

チェコスロバキア、タトラ社が生産のタトラプラン。昭和20年代後半から30年代前半、日本の路上を走る姿を見た人は更に少なかろう。初めて遭遇した時、珍奇な車だと思った。

記憶では、チェコ大使館の青ナンバー車と日本ナンバーの二台。日本車のオーナーは服部時計店の御曹司、服部一郎のようで「夏はオーバーヒートするので困る」と嘆いていたそうだ。

私がドイツで乗った時にはオーバーヒートの気配は無かったが、後ろの方で空冷エンジン音がうるさかったこと、リアヘビーでオーバーステアになりやすく、RRの特徴丸出しのコーナリングに気を使ったのを憶えている。

タトラは1923年に、ネッセルドルフという馬車屋からの誕生だから自動車屋としての歴史は古くはないが、そこから風変わりなRRが生まれたのが37年のこと。

FR主流の時代にRRの見るからに風変わりな姿は、将来を暗中模索して生まれたレイアウトだが、ダイムラーやベンツもトライして失敗、実用化したのはVWと356生みの親、ポルシェである。

ポルシェ博士請負設計のNSU:量産されず。如何にもVWビートルの源流という姿

開発目的は、WWⅠ中に飛行機で発達した空力理論を高速化するであろう自動車に取り入れて、高性能かつ経済的な車の開発に結びつけようとしたのである。 19年WWⅠ終了、21年にルンプラーが開発したトロッフェンワーゲンがその走りで、水滴型流線型で世界の注目を浴びた。この手の車の元祖、処女作と云っていいだろう。

その理論を更に進化させたのが、ボヘミヤ生まれの空力専門家、パウル・ヤーライ。彼は、理想的水滴型車を実現するのには、エンジンが前では駄目、後ろなら前から後ろへと理想的な空気の流れを造ることが出来ると主張した。

その理論に賛成した技術屋は多く、ダイムラーベンツは130Hを、また英国のクロスレイなどが開発販売したが、いずれも主流には成り得なかった。

RRを世に出したのはポルシェだが、VW以前、31年にツンダップで、33年にはNSUで開発をしたが、いずれも世に出なかった。

NSUより早くポルシェ博士開発のツンダップ。二輪メーカー向けらしくエンジンは空冷五気筒。量産されず

チェコスロバキアのハンス・レドヴィンカもヤーライ理論の賛同者で、23年に発表したのがタトラ11型で、空冷水平対向二気筒1056ccエンジンとバックボーンフレームなどの斬新機構は、後のRR開発者に大きな影響を与えたのである。

ヤーライはその後も研鑽を続けて、37年に完成したのが水滴流線型RRのタトラ77型だった。後部に空冷V型八気筒75馬力で、最高速度170粁というスピードも実現したのである。

その後もタトラは進化を続けて、87型→97型へ、そしてWWⅡ後の55年に完成発売したのがタトラT603型(写真右)。 59年型T603諸元:空冷V8・OHV、B75xS72㎜、圧縮比6.5、2545cc、100hp/4800rpm、16.5kg-m/3000rpm。4MT。Max170km/h。四輪コイルスプリング&独立懸架。タイヤ650-15。最小回転半径7m。全長5065×全幅1910×全高150㎜、WB2750㎜。車重1420kg。

写真のタトラが登場の55年、登場した日本の乗用車は、トヨペットクラウン、ダットサン110、日産オースチンA50、トヨペットマスター、フライングフェザー、スズライトSSセダン、オオタPK-1という時代で、ようやく一人前の乗用車を造ることが出来るようになった頃である。

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