【車屋四六】馬鹿げた馬鹿げた自動車レース

コラム・特集 車屋四六

馬鹿げたなどというと叱られるかもしれないが、馬鹿げた自動車レースが本当にあった。

90年代、パリから北京までという長丁場レースは、フランス流大会運営のせいか、プジョーが優勝して宣伝効果抜群、これから発展という中国市場にブランド名を知らしめた。

このフランス流大会運営は、パリダカールラリーでも問題を投げかけた。レース中に、自国車有利に規則を変えることである。それはそれとして過酷な長丁場のレースは、高度に発達した自動車技術があったればこそ可能なったものだと思う。

が、自動車がヨチヨチ歩きの時代の1907年に、北京からパリまでという長丁場、実に1万6000㎞の大レース、それこそ馬鹿げたレースが開催されているのだ。

もっとも、こいつは大富豪ならではというレースでもあり、5台が出場して、レースの幕は切って落とされた。

出発から二ヶ月後、パリに到着した一着はイタリーきっての名家ボルゲー家の御曹司で車はイターラ40馬力だが、大富豪ならではと云ったように、車が動けないところは100人ほども人足を集めて担がせたというのだから、並大抵ではない。

大富豪の名誉と意地の張り合いレースはこれだけではなく、馬鹿さ加減は更にエスカレートする。なんとニューヨークからパリ、実に2万800㎞という一大イベントである。

ニューヨーク→シカゴ→サンフランシスコ→アラスカ→シベリア→モスクワ→ベルリン→パリ。参加者は7台で、その中のトーマスフライヤーとドディオンブートン、ツストが船で長崎に上陸、日本を北上した記録が残っている。

優勝はアメリカのトーマスフライヤー6気筒60馬力、二位はドイツのプロスト4気筒35馬力、三位がイタリーのツスト4気筒28馬力。このレースはWWⅡ後のハリウッドで映画化され、優勝のトーマスフライヤーにはトニーカーチスが乗っていた。(写真右:ハリウッド喜劇映画グレートレースのポスター:トニーカーチス、ジャックレモン、ナタリーウッド主演。出演車はハーラー所蔵オリジナルとは異なる)

今回の話題は、そんな参加車の一台、フランス車モトブロックの話である。が、車やドライバーが主人公ではない、運転席の横に写っている箱である。

20世紀初頭、黎明期の乗用車は王侯貴族金満家御用達。で、馬車時代の伝統から、自動車メーカーから買うのはシャシーだけ。ボディーは先祖伝来御用達のお気に入りの馬車屋に架装させた。だから、同じ姿の乗用車は二台とないのである。

車だけではない、レース出場で荷物箱が必要になった時、専用の箱が日頃愛用の有名トランクメーカーに発注された。で、その箱をルーペで見れば“Luis Vuitton”とある。

ちなみに1821年パリに創業のルイビトンは、日本ではOL女子大生までがご愛用アイテムになってしまったが、本来は金持ち専用ともいうべき高級アイテムで、欧州人は日本に来てビックリする。

そもそも190年余の歴史のルイビトンは、馬車や船旅をする富豪の旅用トランクで人気を得た。日本の長持ちみたいな大きなトランクで、縦に置いて開くと、ハンガーに掛けたままで洋服箪笥に早変わり。小物を入れる引き出し、靴入れまで装備の箱だった。もちろん種々用途に応じたバリエーションも用意されている。

ルイビトン以前のトランクは蓋が丸く膨らんでいた。が、ルイビトンのアイディアは、上部を平たくして積み重ねられるようにしたのがミソだった。

材料はフランス東部の高地に生息するポプラの木を、楽器造りのように5年間も乾燥してからフレームに使うという念の入ったもので、軽くて頑丈というのも、人気を得た一つの要因となる。

モトブロックのオーナーも、車に物入れが必要になった時、日頃愛用のルイビトンと、頭にひらめいたのだろう。ルイビトンの方も、お得意様からの変な箱の注文に応えたのだろう。

日本のルイビトン愛用者に云いたい。日本には昔から身分不相応という言葉があるが、WWⅡ以後の若者にそれを云えば鼻の先で笑われるだろう。せっかく買った高価上等な持ち物なのだから、せめて歴史由来くらいは承知して持ち歩いて欲しいものである。

米国著名コレクターだったハーラー所蔵の優勝車トーマスフライヤー。ニューヨーク・パリの文字が