【車屋四六】ミニカのカタログでパリを想い出す

車屋四六 コラム

三菱ミニカの新車報道発表会で貰ったカタログを見て、ふと目をとめたページ「背景のこのレストラン確か行ったことがある」と考えているうちに、記憶が甦ってきた。

そうだ66年だ。そのときの連れは、文ちゃんと阿部さん。阿部さんはパリの大学で研究中。その後、出身校の東大に帰り、教鞭を執る仏文学者。

文ちゃん、いや文子さんは、東京オリンピック事務総長、当時は本職の外交官に復帰してローマ駐在の日本大使、与謝野秀さんのお嬢さん。

文ちゃんはパリの女学校育ちだから、二人ともフランス語ぺらぺらというわけで、パリ見物のお付き合いを願ったのである。ちなみに、暫くして二人は結婚、可愛いお嬢さんが生まれた。

レストランの名は“Le Cosulat”。街灯の下、進入禁止看板から坂を登ると、画家がたむろする有名な広場で、その先にサクレクール寺院がそびえている。

広場の脇に、なにやら賑やかな酒場が「怖いから嫌だ」と云う文ちゃんを無理強いして入ると、其所は大衆酒場で労働者がピアノに合わせて大合唱。私には嬉しい雰囲気でビールが美味かった。

パリの観光にはジャガーMK-IIで走り回った。その頃の日本は未だ米国製大型車全盛時代。そこに輸入されるフランス車、ルノー、シムカなど、先進国なのに小さいと不思議だったが、細い裏通りが多いパリに来て、小さな車の便利さを納得した。

日本では、アメリカ車に混じるMK-IIは小さいと思っていたが、パリに来てみると大型で立派な体格だった。そのジャガーは、輸入映画界のドン、故川喜多長政社長の自家用車である。

前の話(野中重雄の英車遍歴1-2)で登場の野中重雄先輩の紹介が威力を発揮したのだろう「社長は当分来る予定なし」滞在中乗って終わったら空港駐車場に置いて鍵を灰皿に入れロック、出発してください。「後で探しに行きますから」と何ともいい加減な借用車だった。

寸借のMK-IIは直六DOHC、3781cc、220馬力。ひと遊びの後ペンションに帰り、一晩寝て朝食に行くと「駐車禁止なのに不思議ねと見たら米国車じゃない」えっ?と驚いたら、カリフォルニアのナンバーだった。

「これはいい!!英語もフランス語も話さなければ天下御免だ」とグッドイヤーの広告代理店社長が教えてくれた。ノートルダム寺院前の駐車違反、酔っ払っての一通違反等々、どれも日本語でしゃべりまくっていると無罪放免だった。連日ホテル前の駐車違反に、マダムがあきれていた。

川喜多長政社長愛用ジャガーMK-II:パリの道ばたで給油中。英国車にカリフォルニアナンバーという奇妙な取り合わせ。左は筆者

さて、冒頭のレストラン、胡椒を摺りこんだステーキと安いワインの味が、妙に溶け合って美味かった。時々歌う元シャンソン歌手という太っちょマダムは未だ元気だろうか。音程が狂ったピアノを弾き、如何にもボロなアコーディオンが妙に情緒を醸し出す老楽士は、もう居ないだろう。

このレストラン、料理はまあまあだが、土地の音楽が好きな私にはとても雰囲気が良い。で、もう一度行きたいと思っているうちに日時が経ち、その後、訪れる機会がないのが悔しい。

いや、実はもう一度、行っている。五日ほどもパリで遊んで手持ちぶさになり、日航パリ支店で日本の新聞を読んでいると、ヘルシンキで勉強を終えたという医師を紹介された。「帰国する前に一度パリを見ておこうと思って」というので、怪しげなにわかガイドを買って出た。

適当な名所見物の後、例のレストランで痛飲し歌いまくった。タクシーでホテルまで送っていく途中「今日のお礼に今度は京都のたん熊にご招待します」と云って分かれた。彼は、奈良橿原の大病院を継ぐと云っていたが、今でも達者でいるだろうか。

1966年パリ市街。プジョー、シトロエンアミ、シムカなどの姿が懐かしい

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