【車屋四六】・インディー500のペースカー

コラム・特集 車屋四六

1911年に始まったインディー500レース、正しくはインディアナポリス500哩レース、そのペースカーは、その年の最も話題の車から選ばれる。いわば年男のような感がある。もっとも宣伝効果抜群だから各社威信にかけて努力するのだが。

2011年は記念すべき100周年、内定はシボレーカマロで、09年から3年連続。が、インディー史上、最多出場はシボレーで22回。やはりナンバー1メーカーGMの底力なのだろう。

インディー500は、毎年5月のメモリアルデイに開催される。私が見物に行った94年のペースカーはフォードマスタング。30年ぶり二度目の晴れ舞台だと聞いた。

第一回の優勝車の平均速度が118km/hというように、当初は速度が遅かったこともあり、楕円のコースは全周煉瓦敷だった。が、高速になるにつれ煉瓦では危険になり全面舗装となるが、スタートラインだけに懐かしの煉瓦が一列顔を出している。

「ジェントルマン・スタート・ユア・エンジン」は名物行事で、レース場オーナーのこの掛け声でレースが始まるのが伝統。私が行った年はリン・セントジェームスという女性ドライバーが居たので「レディース&ジェントルマン・・・」叫んでいたが、偶然かどうかオーナーが亡くなり、掛け声も女性でオーナーの未亡人。

楕円のコースは一周2.5哩で計500哩=800㎞を走るのでインディー500なのだ。が、今回話題のペースカー選びがお祭り騒ぎになったのは、WWⅡ以後のことらしい。

64年インディー500のペースカーに選ばれたマスタング

戦後第一回はリンカーンコンチネンタルで、優勝ジョージ・ロブソンの平均速度は183km/h。翌47年はナッシュアンバサダー、優勝はモーリー・ローズで平均速度186km/h。

サンダーバードが初代登場の55年ではないのは意外。55年の年男はシボレーベルエア。サンダーバードの登場は二代目になってからの61年で、優勝はA.J.フォイトで平均速度222km/h。

A.J.フォイトは、インディーで三回もチャンピオンになった強者である。

さて、この時代までインディー出場の車は、近頃のF1型ミドシップではなく、オーソドックスなフロントエンジン後輪駆動。いわゆる葉巻型レーシングカーだった。

しかも楕円コース路の反時計回りに合わせて、左カーブ得意の中心から右側の方が左より長いという独特なサスペンション形式。で、右にハンドルを切ると地獄だとアメリカの知人が云っていた。

もっとも最近でも、サスペンションは均等長でもタイヤサイズが違ったり、右を硬く左を柔らにというようなサスのセッティング作業を行っているようだ。

そんなところにミドシップ型の登場が65年。ジムクラークのロータスが圧倒的早さで優勝、平均速度240km/h。この年のペースカーはクライスラー・プリムス。

次いでグラハムヒルのローラフォードの駄目押しの一発で、この年を境にインディーレースにミドシップ時代の到来となる。この年のペースカーはフォード・マーキュリー。

ちなみに、インディーカーシリーズ戦は年一回開催のインディー500レースからの派生と思えばいい。98年からホンダのツインリンクもてぎで開催され、日本にも多くのファンが生まれた。

ホンダが毎年茂木ツインリンクで開催する、いまや日本の人気行事のインディーカーレース