【車屋四六】プリンス グロリア

コラム・特集 車屋四六

昭和37年=1962年は、プリンス自動車にとり、忘れられぬ年である。会社が大きく飛躍した年だからだ。

東洋一を誇る規模の生産工場が村山に完成。2階建ての東京港区三田のプリンス自販ビルが、堂々の8階建てビルになり、スカイラインとグロリアも、フルモデルチェンジで最新型に。

初代グロリアは、スカイラインと同一ボディーに豪華仕立てということで差別化していた。が、上記2代目になると、全く別物。スカイラインはサイズダウンで小型に、グロリアは当時の日本ではフルサイズ、堂々の大型モデルに成長したのである。

もっとも日本ではクラウン、セドリックなどと肩を並べるフルサイズでも、国際的に見れば中型だったが。それ以上の大型が無い日本では、プリンス・グロリアは最大の高級車だったのである。

釈迦に説法になるやもしれぬが、プリンスの由来は、皇太子殿下(現天皇陛下)が正式に皇位継承宣言をする儀式“立太子礼”にちなんで命名されたもの。加えて、昭和34年登場のグロリア(栄光)は、同年の皇太子御成婚にあやかったものである。

独立して2代目となったグロリア(写真右)のエンジンは、当初旧モデルからの直列4気筒だったが、翌年に六気筒登場で、プリンス・グロリア・スーパー6を加える。このエンジンは、本邦初登場の直列6気筒でしかもSOHCという、斬新豪華版だった。

スーパー6登場の63年とは、日米間で通信衛星を使ったTV中継が可能になった記念すべき年。が、その記念すべき中継の第一報で飛び込んできたのが予想外なビッグニュース。
何と、ダラス市訪問中のケネディ大統領の暗殺シーンだったから、中継画像を待ち構えていた日本の視聴者に衝撃が走った。

日本初の直6OHCエンジンが、小型のスカイラインに押し込まれて、異様に鼻面を長くしたスカイライン2000GTが生まれる話は、車マニアなら誰もが知る有名な物語である。

G7型は、ボア75.0㎜、ストローク75.0㎜という高出力指向の完全なスクエア型で1988cc。105ps/5200rpm、16.0kg-m/3600rpmは、当時の市販エンジンでは最高の性能を引き出したものである。

高回転高出力エンジンが生み出す、155キロという最高速度も、当時としては最高のものであった。

ちなみにグロリア・スーパー6の販売価格は110万円。今の感覚なら「安いじゃないか」だが、かけ蕎麦一杯が35円の頃だから、庶民には手が届かぬ高嶺の花であった。

二代目グロリアの素晴らしいはエンジンだけではなかった。「外車みたいだ」と、押しかけた報道関係、専門家たちが目を見張ったフラットデッキと名付けたスタイリングは、それまでの日本のデザインからは素像もできないほど斬新ゴージャス、しかも個性的な姿であった。

サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン。リアは先代から継承のドディオンアクスルで、乗り心地の良さと操安性を両立させていた。

もちろんグロリアも皇太子殿下に納入されて、プリンス号以来8台目ということで、皇室御用達の伝統を守った。

速い走りも自慢で、第2回日本グランプリでは、ツーリングカーレースに出場して、大石秀夫優勝、杉田幸夫二位、という好成績を残す一方で、1.5ℓのスカイライン1500は、なんと1~8位までを独占するという偉業を成し遂げた。

さらにGTクラスでは後の世に語りぐさを残す。グロリア用6気筒OHC搭載のスカイライン2000GTとポルシェ904との一騎打ち。デットヒートの結果破れはしたが、後世に残る名勝負と称えられた。

独特な、ドディオンアクスルはこの2代目を最後に引退したが、直列6気筒OHCエンジンは、これ以後各社に登場して、日本の高級車の心臓では定番商品となるのである。

スカイラインと同じボディーの豪華版だった初代グロリア