【車屋四六】懐かしのクランク棒

コラム・特集 車屋四六

クランク棒などといったところで、判るのはかなりな老人である。ふと気がついたら、既に乗用車の装備品から消えていたのが、50年ほど前だった。

それ以前は、乗用車、トラック、バス、クランク棒は一本ずつ標準装備品で、大体はトランクの中に、簡単な工具と一緒に無造作に放り込んであった。丁寧に金具で固定されていたのもある。

さらにさかのぼって、1920年代頃までは、車の前に差し込んだままブラ下がっていた。クランク棒は、エンジンを始動するための大事な道具だった。

近頃は、キーをひねるかボタン押す、で簡単にエンジンは目覚めるが、それは電気式スターターが発明されたおかげ。が、皆さん電気スターターの有り難みなど考えたこともないだろう。

クランクがエンジンと一体化したT型フォードのエンジン

実用的な電気式スターターの発明は、アメリカ人チャールス・ケタリング。最初に採用したのが1912年型キャデラック。それまでは、高級車といえども、勢いよくクランクすることでエンジンは始動した。

当時のエンジンは圧縮比が低かったからといっても、大衆車でも何リットルという大排気量だから、クランク棒を勢いよく回す作業は大変な力仕事である。

そしてコツが必要。やり損なうと”ケッチン”を食らって怪我をしたり、時には指が折れたりしたものだが、主に被害を受けるのは親指である。

いまではバイクも電気始動だが、オートバイと呼んだ頃は、ペダルを蹴飛ばしての始動だった。その時代を知っていれば理解できるだろうが、ケッチンとは、かけ損なったエンジンの逆転現象である。

ケッチンとは、和製英語で、馬に蹴られた時の”キッチング”がなまって生まれたようだ。いずれにしても、馬に蹴られたような強烈なショックなので、指が折れたくらいはまだしも、顎の骨が折れたり、また死んだという話も聞いたことがある。

ケタリングは、デルコ(DELCO)社を創業して、電気スターターは世界に普及するが、クランク棒は廃れずにしぶとく生き残る。で、第二次世界大戦後の50年代の車にも付属品だった。

それは当時の電装品が高性能ではなく、蓄電池の信頼性が低くバッテリー上がりが起こるので、クランク棒は緊急時の保険的存在だったのだ。WWⅡで電装品の性能信頼性が飛躍的に向上した結果、アメリカ車から、クランク棒は消えていった。

写真トップは、65年頃のファミリアだが、まだクランク棒は健在だった。ナンバープレートを跳ね上げて出てくる穴に差し込んで、回す仕掛けになっている。

バンパーから、穴が消え始めたのはアメリカ車から。が、穴は消えたが戦前開発のエンジン、クランク先端プーリーの中心には、棒を受ける切り欠きが残っていた。

オースチンA40に乗っていた頃、貧乏月給取り=サラリーマンの私は、バッテリーの寿命を少しでも延ばそう魂胆で、朝の始動一発はクランク棒だった。

クランク棒始動の手順:冷えたエンジンを数回クランクすると、オイルが回るほどに軽くなる。次、ゆっくりと回し圧力最大点直前(ピストンの上死点直前)位置に止めるが、始動時に棒を引き上げる位置にするのがケッチンを避けるコツ。

次に運転席に戻る。アクセルを勢いよく踏みつけ、ガソリンを吸気管に噴射する→チョークを曳く→イグニションON。これで準備完了。チョークとアクセル量は、その日の気温で決まるが、こいつは慣れと第六感。

準備完了。再び前に戻り、クランクを一気に引き上げればエンジンが目を覚ます。以上が寒い冬の朝の面倒な儀式だが、かけ損なえば、また振り出しに戻る。寒い冬だけに、双六(すごろく)を思い出す(振り出しに戻る)。

英ローバー07年型:ラジェーター下に常時クランク棒がブラ下がったまま

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