【車屋四六】冷房車時代の幕開け

コラム・特集 車屋四六

今どきエアコン無しの乗用車を探すのは難しい。が、エアコンと呼ぶのは最近で、昔は単にカークーラー。温度調節無しの冷房装置だったから。冷房が珍しくなくなったのは70年代に入ってからだ。

そもそも冷房装置世界初装備はバスで38年。乗用車の世界初は40年型パッカード。キャデラックやリンカーンなど高級車の一部に装備を始めたのがWWⅡ終戦後の50年代。

50年は昭和25年、日本ではダットサンスリフトやオオタPAの時代だから、庶民には電気冷蔵庫すら無縁、映画館も冷房無しの時代だから、乗用車に冷房などとんでもない話だった。

55年頃に米国製冷房装置が輸入され、つられて東芝、デンソー、ヂーゼル機器などの日本製の登場が57年頃。トランク型とアンダーダッシュ型があり、私達修理業者には良い儲け仕事だった。

東芝カークーラーのパンフレット:見えにくいが二人の女性の顔前に透明プラスチックのエアホーンが突き出ている

写真は60年頃の東芝カークーラーのパンフレット。当時東芝は日産を主力に外車用も含めてシェアトップ、トヨタ系デンソーより羽振りが良かったのは、当時日本一メーカーが日産だったから。

60年はローマ五輪、ダッコちゃんを上腕に付けた女の子が街を闊歩していた。NHKとNTVでカラー放送を開始したが、日本製21インチが62万円は、初代ブルーバードやカローラとほぼ同値だった。

そんな時代のカークーラーはキット部品で15~20万円、取り付けて25万円もしたから、庶民御用達クラスの自動車では高嶺の花のクーラーだった。

日本でクーラーユニットが標準装備でダッシュボード内に組み込まれたのが63年型プリンスグロリアだったと思う。が、フロントデフロスターと兼用で、冷気も吹き出す斬新構造は失敗作だった。新車試乗で「よく冷える」と喜んでいたら、フロントウインドーが曇り前が見えなくなった。冷えるとガラスの外側に霜が付くのだ。

その前、高級アメ車の冷房は大型車らしく、熱交換機がトランク内で、後部の棚から吹き出し用樹脂製エアホーンが見えて、それが一種のステイタスシンボルでもあった。

5万円ほど安いアンダーダッシュ型は小型車用で、取り付けると助手席膝元が窮屈になり、スカートの中に冷風が吹き込むので女性から苦情が出たりした。ジーパン流行はずっと後。

アンダーダッシュ型クーラーの広告:これはトヨペットクラウン用のオプション部品

カークーラーを付けると、コンプレッサーやコンデンサーの重みで、前下がりになるのでスプリングにスペーサーをかませて補正。少し走ると、今度はコンプレッサー側のスプリングがへたって車が傾く。そんな余録修理に業者は喜んだりもした。

アンダーダッシュ型には格好良いエアホーンがないが、クーラーキットに添付の青い(冷房車)ステッカーを窓に貼れば、車はステイタス変身。で、ステッカーだけの見栄っ張りも出てきた。

暑い夏の交差点で隣の車の窓が閉まっている「チキショー羨ましい」。が、よく見ると、運転席のご婦人の涼しげな顔に汗がびっしょり「な~んだ」見栄を張るのも苦しいものだとさげすんだ。

我々大衆は走っていれば三角窓から吹き入る風が心地よく、信号待ちなどでは近所の商店のウチワが冷房装置だった。

十二ボルトの電動扇風機、こいつは贅沢品。モ少し安い単一型電池で回る手持ち扇風機もあった。とにかく、カークーラーは、手が届かないステイタス装備だった。