【車屋四六】俺の車にゃヒーターは邪魔

コラム・特集 車屋四六

築地河岸のマグロ問屋の息子という友人が居た。彼のセドリックワゴンにはヒーターが無かった。昭和30年代も後半なら、セドリッククラスになればヒーターは標準装備なのに。(写真トップ:いすゞ117クーペのアンダーダッシュ型エアコン。これは後付ではなく純正オプション)

襟にボアのジャンパーで寒い冬を走り回っている姿を見ると、あいつ金持ちなのに何考えているんだろうと思ったものだ。

「人間って意志が弱いんだよ」と彼は云う。

暖房はいけないと判りながら、ついスイッチに手が伸びる。人が快適なら魚が傷む。魚屋に暖房は禁物、だから初めから無ければあきらめが付くというのである。

近頃、よほど低グレードでなければエアコン当たり前の時代だが、昭和30年代、ヒーターはオプションが多かった。車を買う時「ヒーターは?」・「標準装備です」と、セールスマンは、ことさら強調したものである。

その頃の広告には(中古車も含む)R,H付きと明示した。R=ラジオ、H=ヒーターである。外車なんかにはPS=パワステアリング、PB=パワーブレーキなどの表示も付いていた。

19世紀生まれの自動車は、20世紀になっても暫くは寒かった。世界初のカーヒーターは、1927年のGM製だそうだ。

私が子供の頃だからWWⅡ前だが、乗用車の床には銀色のチューブ状放熱器があった。

戦争前、いや戦後も暫く、学校や事務所の暖房はスチームと呼ぶ銀色の放熱器で、昭和一桁生まれならハンカチに包んだ弁当箱を朝置いて、昼ご飯が暖かかたことを想い出すはず。

それをコンパクトにしてフィンを付けた放熱器を足下に取り付けてキャビンを暖めていたのである。私は知らないが、オヤジは「ヒーターどころかワイパーもなかった」と云っていた。

昭和20年代、車は寒いのが当たり前だったが、30年頃ドイツから格好良い後付用カーヒーターがやって来た。その銘板にはボッシュと書いてあった。

で、日本でも同じようなヒーターが続々登場、写真は昭和35年のデンソーのカタログ。乗用車・トラック・三輪車には1個、バスには2~3個装備せよと書いてある。

昭和35年には、三代目コロナ登場。BC戦争でブルーバードに負けっ放しのコロナが、これで初めて市場王座に坐る。前年の皇太子御成婚(平成天皇)でTVの普及が加速し、日本初の電気皿洗い機登場、戦後続いた日本の貧乏も過去のもになりつつあった。

一方、戦後の日本を支配していた駐留軍の縮小に比例して、闘争運動が盛んになり、全学連主流派7000人が国会乱入。東大生樺美智子の死亡事件など、日本中が騒然とした時代でもあった。

自動車は後付か標準装備を問わず、ヒーターで冬が快適になり、一度快適さを経験すると、ついこの間までの我慢は何処へやら、次々と欲が出てくる。

で、ヒーターの次は、当然のようにカークーラー(エアコンではない)が登場するのだが、いすゞヒルマンが83万円、日野ルノーが62万円で買える頃の20万円を越すカークーラーが、カーヒーターほどの人気を得るには、まだ暫くの時間が必要だった。

ボッシュ型の前にも、各種ヒーターが登場したが、高い熱効率で静かなファンノイズのボッシュヒーターの出現と、それに似た国産品の登場で、一気に普及が伸びたのである。

ダッシュボード下のボッシュ型ヒーター。後部から空気を吸い込み前方ラジェーターで暖め、ファンで前方に吹き出す。前の蓋の角度で吹き出し方向を調節。夏は温水を止め扇風機代わり

で、日本でも同じようなヒーターが続々登場、写真は昭和35年のデンソーのカタログ。乗用車・トラック・三輪車には1個、バスには2~3個装備せよと書いてある。