【車屋四六】トヨタ2000GT国際的スターに

コラム・特集 車屋四六

昭和40年=65年第11回東京モーターショーで、一台のグランツーリスモが注目を浴びていた。グランツーリスモ=GTはスポーツカーではない。日本人のGTは、過激なスポーツカーだが、本来は長距離快適ツアラーで、いざ鎌倉となればスポーツカークソ食らえという性能の持ち主を指す。

注目の的はトヨタ2000GT。日本でGT=過激の混同は、スポーツ熱に火を点けたレースが原因。ベレットの高性能版GTやスカイラインGTなどがサーキットを暴れ回ったせいだと思う。(写真トップ:トヨタ2000GTボンドカーのお披露目。オープンロードスターに改造は二台。撮影で公道を走るために品川ナンバー付き。)

トヨタ2000GTは日本で初、真のGTだった。ライバル日産にはフェアレディ、ホンダにはSシリーズがあったが、トヨタには立派なスポーツカーがない。トヨタS800では、世界市場で威張るには少々荷が重すぎた。

いずれにしても世界にトヨタの技術力をアピールする車が欲しい。そんなところにヤマハから耳寄りな話が持ち込まれた。開発途中のスポーツカーを一緒に作りませんかという。開発記号A550Xが、依頼先日産の計画中止で頓挫していた。

トヨタは継続開発を決定、河野二郎を頭に開発チームを結成してヤマハに送り込む。で、完成したのがトヨタ2000GTで、そのお披露目が65年の晴海ショー会場だったのだ。

発売は67年で70年生産終了までに337台を生産、日本と海外市場に送り出す。早速モーターマガジン誌に試乗記を書いたが、その頃のフェアレディ2000やベレットGT、スカイライン2000GTを軽く上回る性能に、これで世界の一流に仲間入りと喜んだものだ。

当時のヤマハは、ホンダと共に二輪レースの世界では世界一流で、自慢のDOHC動弁機構のアルミヘッドを、トヨタのM型105馬力ブロックに乗せてチューニング、ソレックス三連装で実に150馬力を絞り出した。

私は、谷田部の高速周回路で最高速度220㎞、ゼロ400加速15.6秒を体験して、その実力に納得した。ヤマハの母体が楽器屋だけに、高級なウッドを見事に仕上げたインテリアにも感銘を受けた。

モーターショーの後、発売までの間に、トヨタは強烈なPR活動を始める。先ず、第一弾が66年5月の第三回日本グランプリ。2台が出場、細谷四方洋が三位入賞した。もっともトヨタ2000GTは本来耐久レース向きだから、スプリントレース用の精鋭ポルシェやプリンスR380相手の三位は、予想外な金星とも云える。

論より証拠、翌6月の鈴鹿1000キロ耐久では福澤幸雄、津々見友彦コンビで見事優勝。この時は、はからずも私がJAFスポーツ委員会派遣の審査委員長を務めていた。

10月1日、茨城県谷田部のFIA公認高速周回路にトヨタ2000GTが元気よく飛びだしていった。細谷四方洋、福澤幸雄、田村三夫、津々見友彦、鮒子田寛、蒼々たる顔ぶれのトヨタのサムライ達が、三昼夜交代の速度世界記録への挑戦だった。

途中台風の襲来もあったが、記録樹立は見事に達成した。6、12、24、48、72時間、100哩(マイル)、200㎞、2000哩、5000㎞、5000哩、1万㎞、1万5000㎞と、世界の名車が記録した種々の世界記録を更新したのである。

世界記録に挑戦し茨城県谷田部の高速周回路を三日間走り続けるトヨタ2000GT。バンク走行中だから時速200㎞前後だろう

さてPR活動は佳境に達して国際的晴れ舞台に躍り出る。映画出演。大ヒット”007″シリーズでは、主役の英国諜報部員ジェームス・ボンドの他に、毎回替わるボンドガール、ボンドカーも主演スターである。 世界一流の美女と世界一流のスポーツカー。その世界一流にトヨタ2000GTが選ばれた。しかもボンドガールは日本人女優の浜美枝と若林映子が(男優では丹波哲郎)。当時、外国映画とは遙か遠くの世界だけにPR効果は絶大だった。

いまではコレクターアイテムとして垂涎の的。豊かになった日本らしく海外から輸出品を買い戻したりしているが、なにしろ数が少ないから良品美品は2000万円を越えることもあるそうだ。

ボンドカーのお披露目はホテルオータニだったと思う。座席で頬笑むのはボンドガールに抜擢された女優若林映子

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