【車屋四六】バンコクのBMWイセッタ

車屋四六 コラム・特集

前に「珍奇な車イソ・イセタ」を紹介した。イタリーでは不評だったイセッタが、ドイツに嫁入りしてBMWイセッタとして成功した話だ。写真トップのBMWイセッタは後ろ向き。前方からのイセッタは何度も紹介しているので今回は珍しい後ろ姿。カンバスルーフ、エンジン位置、後輪などが見える。

昨年三月末にバンコク自動車ショーに行った。世界のショーは何処も公的団体や機関が運営するのが通例だが、バンコクではグランプリ出版という私企業運営が特徴で、ショー開催期間中は商談会。前年は1万7000台を売り上げ、今年は新顔のマーチ登場の効果もあり、2万台はいきそうと予測していた。

古道具屋的物書きとしては、何時も楽しみな一室がある。クラシックカーを一堂に集めた部屋。今年は、ポルシェ2台、ベンツ2台、ロールスロイス、シトロエン2CV、コルベットスティングレイ、そして中心にオースチンセブンとBMWイセッタが並んでいた。

新車に群がる報道陣をよそに、プレスデイのクラシックルームに人影はなく、ゆっくりと撮れた写真を数回にわたり紹介しよう。前の話「珍奇な車イソ・イセタ」で三枚を紹介したので、別の角度からの写真にしよう。

さて、BMWはWWIでの航空発動機が出発点だが、敗戦で生まれた水平対向二気筒のオートバイが傑作。次にオースチンセブンのライセンス生産のディキシーで四輪メーカーへの仲間入り。が、WWIIでまたもや敗戦という経過もご存じのはず。

敗戦直後の工場は爆撃による瓦礫の山。でも食べるためにと、鍋、建築金具、自転車、パン製造機など手当たり次第に造りながら、オートバイ生産の再開に漕ぎ着ける。

が、創業から会社経営の社長と40年に交代した新経営陣の経営手腕はイマイチ。その経営ビジョンは戦前のイメージの復活。それが災いして経営はジリ貧。端的に言ってしまえば、高級なBMW502と507が売れなかったのである。

で、新規一転、大幅リストラで生まれたのが軽自動車、ヨーロッパでバブルカーと呼ぶ超小型車。その経過は「珍奇な車イソ・イセタ」で紹介したから省略させていただこう。

屋根の上から撮影:MAX60km/hの速度計、シフトレバー、ドア開閉レバー等が見える。ステアリングコラム下の左にクラッチ、右にブレーキとアクセルがある

さて、BMWイセッタには三種類がある。55~62年:BMWイセッタ250/一気筒245㏄12馬力/最高速度85km/h/車重360㎏/価格2580マルク。56~62年:イセッタ300/一気筒298㏄13馬力/最高速度85km/h/車重360㎏/2920マルク。

二種類の一気筒モデルの累計生産量は、16万1728台。さて、57~59年まで製造されたBMWイセッタ600は、二気筒582㏄19.5馬力/最高速度103km/h/車重550㎏/3985マルク/生産台数3万4813台。が、より乗用車に近い期待の600は不成功に終わった。

もっとも600になって、時速100キロで走るメッサーシュミットと、オートバーンで張り合えるようになり、その面では評判が良かったのだが。

BMWまたもやジリ貧か?と専門家の予測とは裏腹に、600の技術をベースに開発の、姿形がまるで違うスポーティーな700クーペが成功して、取り敢えずバンザイと云うことになる。

ここで、私には二つ疑問がある。BMWジャパン設立前のエージェントは、長いことバルコム商会だったが、その広告のBMWイセッタが200㏄と紹介されていることだ。

もう一つは、今回BMWジャパンからの資料には、上記データしかないのだ。バンコクの写真を見ると、後輪が一輪。BMWのどの資料を見ても後輪は、デフ省略のためにトレッド極小(≒500㎜)の二輪だが、この件についての回答はなかった。

が、とにかく三輪のBMWイセッタが存在するのだから、写真を紹介しておく。もしかすると、私の資料から欠けている三輪が、バルコム商会の200㏄なのかも知れないが、あくまでも推測である。

後輪を駆動するドライブチェーン内蔵のカンチレバー型アーム。アームは反対側の半楕円リーフスプリングでボディーに固定

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