【車屋四六】ポルシェスパイダーとジェームス・ディーン

コラム・特集 車屋四六

49年ジュネーブショーが初お目見えのポルシェ356が911に進化。強烈なアメリカのファンに支えられて60有余年、とうとうその生涯に幕が引かれようとしている。残念なことだ。

写真は、58年のカリフォルニア・サクラメント郊外の飛行場。サングラスにヘルメットはサム。彼は”ミスターカリフォルニア”の異名を持つ、ポルシェ使いの名手だった。

車はポルシェ550スパイダーRSで、この日もブッちぎりで優勝のスタート前の風景だ。58年、日本では東京タワー完成、即席ラーメン誕生、売春防止法施行で遊郭が消え男共には悲しい年である。

スポーツカー、自動車といえばFRが常識の市場に、RRの356が登場した。FRに慣れた目にRRは珍奇な変わり種だった。賛否両論。賛成者はRRに慣れたVWビートルの愛用車達。

が、やがて有力な助っ人が現れる。物事にこだわらず珍しいものが好きな、ヨーロッパ駐留中のアメリカ軍兵士達。気軽に356を買ったら、こいつは面白いということになった。

さて、彼らの勤務が終わり故郷アメリカに帰国する時に、MGやトライアンフ、ジャガーなどと一緒にポルシェも持ち帰った。で、米国スポーツカー市場で英独の戦いが始まる。後に日本勢も加わり、日独英の戦いになるが、負けたのは英国勢だった。

VWビートルの部品流用の356は、市販開始の50年の生産量は僅か400台だったが、米国市場の人気で生産量を増しながら、続々と海を渡っていった。

昔の輸入エージェント三和自動車配布のポルシェ356フェルディナンド

が、この356をポルシェが開発した時のコンセプトはスポーツカーではなく、安全快適長距離ツーリング可能、いわゆるGT=グランドツーリングカーだったのだ。

が、アメリカではスポーツカー扱い。戦後のどさくさが一段落すると、ヨーロッパでも伝統のレースが再開されて、会社としても積極的参加を避けられず、二系列スポーツカーが生まれる。

356を強力発展させたカレラはGTはレース用。そしてレース用のスパイダーである。カレラは基本的に356をベースに開発してはいるが、ミドシップ型の本格的レーシングカーである。

ポルシェ550は53年のパリサロンが初お目見え。翌年100台が6800ドルという破格値段で売り出された。100台というのは、レース出場資格のホモロゲーション取得のためだったのだろう。

写真トップは、550から発展した550RSだ。57年には更に発展してRSKになる。写真のはテールフィンがないからRSだろう。

ガルウイングで有名なベンツ300SLに似た鋼管スペースフレームによる軽量車体に、1998㏄・142馬力を搭載して、最高速度220km/hを誇り、ゼロ400mを16秒で走りきる。

彗星のように登場して、数本の名作で一躍大スターになったが、24才という若さで早逝のジェームス・ディーンが、交通事故で死んだ時に乗っていたのがポルシェ550だった。

ディーラーから新車を受け取っての帰り道だったそうだ。そんな話を書いていると「死んだのは55年よ」と、車には門外漢の家内が云った。

世界の檜舞台で活躍するピアニスト宮澤明子の中学時代、学校で家内と机を並べる親しい間柄。長じて彼女がピアノの修行でアメリカに行く時に「ジェームス・ディーンのお墓参りをしてあげる」と家内に云ったので、死んだのが55年と知っているのだ。

さて、写真のミスター・カリフォルニア、その後も勝星を重ねていると伝わってきたが、数年後の最後の風の頼りは「レース中に事故で死んだよ」というものだった。

映画“エデンの東“のヒットで一躍スター街道を歩き出したジェームス・ディーン。ナリは小さいが個性が強い演技派俳優だった