【車屋四六】ブル-バードなのに直列六気筒

コラム・特集 車屋四六

日本の小型車が、世界レベルに追いついた59年生まれの初代ブルーバード310型は、後継車410型でつまずく。後進国日本で、巨匠ファリナの使い勝手優先デザインが通用しなかったのだ。

ということは宿敵コロナに敗北を喫することで、ブルの販売店は首を長くしてニューモデルの完成を待つ。67年、待望に応えて登場したのが510型だった。

待望の甲斐あって、510型は高性能&スタイリッシュな車で、ユーザーの心を見事に捉えてコロナから王座を奪還する。で、次のモデル、ブルーバードUに引き継ぐのが71年。

大成功510の姿はシンプルな線と面の構成に対して、新Uは一転して丸みを帯び、イマイチそれがユーザーに気に入られなかったから、回復したシェアを、またもやコロナに荒らされ始めた。

そのころ日産で好調だったのがスカイライン。日本グランプリ以来の人気のまま、スカイラインGTに対するユーザーの人気は、神がかり的でさえあった。

ご存じスカイラインは旧プリンスのブランド。合併しても、本家日産と吸収されたプリンスとは、従業員の間では壁があった。で、旧プリンス系の元気の良さは、日産系販売店に取り面白くない。

そこで、ブルの販売店と日産は一計を案じる。公然と口にはしなかったろうが、人気スカイラインGTの、あの長い鼻を、ブルUに付けたら、必ずや売れる車になるだろうと。

73年、問題のロングノーズGTが誕生。おこがましいことに、その名もブル-バードU-2000GTを名乗る。ツードアとフォードアセダンで、それぞれ134.7万円、138.3万円だった。

エンジンは傑作と云われた日産LシリーズのL20E型。直列六気筒OHC、1998㏄、圧縮比8.9、電子制御燃料噴射で130ps6000rpm、17.0kg-m/4000rpm。燃料タンクには無鉛ガソリンが55L。

L20Eは合併の合理化で、スカイラインGTにも搭載されていたが、スカイラインGTの人気とは裏腹に、ブルーバード2000GTの人気は盛り上がらなかった。

不振のブルーバードUは、フルモデルチェンジで単にブルーバードと旧名に戻る。が、新型には、ロングノーズも生き続けていた。ふと気が付くと廉価版も創設されていた。

新ブルの2000G-6、3ATは電子制御燃料噴射L20E-130馬力搭載で155万円に対して、四ドアセダンに二連キャブレター仕様115ps/5600rpm、16.5kg-m/3600rpm搭載で126万円だった。

高性能が売り物のGTに馬力ダウンの廉価版?日産は何を考えてるんだろうと話題になった。で「安けりゃ良いってものじゃない」を日産は身をもって知らされるのである。

結局、79年のフルモデルチェンジのブルーバード910型は、全て四気筒モデルと元に戻された。写真は、ブルーバード2000G-6の78年型。伊藤博文の別荘だった大磯蒼浪閣(そうろうかく)の海に面した庭。53年排気ガス規制適合車の報道試乗会だった。

当日は雨だったようで雨滴が残るトランクリッドのバッジには、誇らしげに”2000G・6 EFの文字が。53年排気ガス適合(NAPS-Z)登場の頃だから77年~78年頃

この時期、日産ばかりでなく各社対策でパワーダウン。その後日産はターボチャージャーで馬力低下を回復し、トヨタはツインカムのコストダウンに成功して乗り切った。写真のブルはブルでは一番パワーが出る車だったが、いくら鞭を入れても、GTらしい走りには程遠いものだった。

写真撮影の78年は昭和53年。対ドル200円で円高不況だがバブルに向かって発展途上。成田空港開港、池袋サンシャイン完成。王手貞治ホームラン800号。輸入車関税ゼロ、乗用車保有2000万台/二輪車保有1000万台に達する。

こんにち、インターネット、TV、電話と珍しくもない光ケーブルの電送実験開始が78年。初乗り運賃80円の国鉄のリニアカーが実験で337km/hを出して鼻高々だった。

元気がなかった810型が79年11月910型に。一番上等のハードトップ2000SSS-EX・Gはツートンカラーがお洒落だった。横須賀の戦艦三笠の前で記念撮影。現在は此処まで入れない

おすすめ記事