【車屋四六】たま電気自動車・たま自動車・富士精密

コラム・特集 車屋四六

前々回でオオタ号、前回でたま号電気自動車、そして今回はたま自動車と富士精密、プリンスと続く話だ。

たま号電気自動車は「売れるかな」という当初の心配をよそに人気は上々。なにしろ世の中にはガソリンがないのだから、タクシー業界までが電気自動車を注文したからだ。

順調に走り出し、月産100台という体制がととのった49年、社名を”たま電気自動車”と改めた。そして電気自動車最後の傑作”たまセニア号”フォードアセダン、定員5名を発表する。(写真トップ:たまセニア。一見イラストだが当時の新聞雑誌では通常の写真階調が印刷できないため強コントラストに加工した写真)

全長3980㎜、ホイールベース2220㎜というサイズは、日本初中型車の誕生だった。機構も斬新、フォードのような横置きリーフスプリングの前輪は独立懸架。ブレーキは油圧式。全スチール製に進化した。

搭載蓄電池80Vを、床下ではなくトランクとエンジンルーム内に収容したことで、全高が低い常識的セダンのスタイリングになる。

たま電気自動車快進撃と誰もが信じた50年、思わぬ転機が訪れる。北朝鮮の南下進撃で始まった朝鮮戦争。蓄電池用鉛が軍需調達で高騰。反面、ガソリンが出回り始めた。これが電気自動車の命取りとなった。

元飛行機屋、武士の商法は意外に変わり身が早く、社名から電気を取って”たま自動車”と改名、ガソリン自動車の開発開始。当時は日産もトヨタもリッターカーの時代。それを考慮したのか、開発目標は小型規格上限の1500㏄カーだった。

で、エンジンの発注先は三鷹の富士精密(元中島飛行機のエンジン部門)。元は飛行機屋同士、戦時中、立川飛行機の機体に中島製エンジンを搭載したことで、旧知の間柄だったのだ。

たま自動車から日本初の1500㏄車の誕生は52年。ちょうど皇太子殿下が皇位継承を正式に宣言する立太子礼の年。それにあやかり、車名を”プリンス”と命名して、その年の暮れには、社名も”プリンス自動車”と改めてしまった。

新開発の直四1484㏄は日本初のOHV、圧縮比6.5で45馬力と日本最高水準の性能。全長4200㎜の6人乗り中型セダンに、最高速度110㎞という高速を与えた。

日産自動車の保管庫で見つけた皇太子殿下(現平成天皇)ご愛用のプリンス1500

話変わって、富士精密の会長はBSタイヤの石橋正二郎社長。また、プリンス自動車の資金繰りを助け会長に就任したのも石橋正二郎、という縁で、スムーズに両社が合併したのが54年だった。

この合併で、プリンス自動車の社名が消え、新社名は富士精密工業、その会社が製造販売するのがプリンス号ということになる。が、社名と車名は同じ方が販売戦略上有利との考えから、プリンス自動車の名前が甦る。

プリンス号は、命名由来の皇太子殿下(現平成天皇)に献上され、軽井沢では殿下自らハンドルを握るお姿を見た。ちなみに、軽井沢での殿下の滞在は毎年千ガ滝のプリンスホテルで、愛馬で散策する姿もお見かけした。

国産初の1500㏄車プリンス号が登場すると、翌年には早くもトヨタも追いかけて1500㏄が登場するが、性能はプリンス号の方が上で乗り心地も良かった。

プリンス号は警視庁のパトカーにも採用されて、都内でもよく見かけたものである。プリンス号の引退は57年で、バトンタッチで登場したのがスカイラインである。

スカイラインは、上級グレードにグロリアがあり、次のフルモデルチェンジで、スカイライン2000GTの名で勇名を馳せるスカイライン1500と、独立して大型になるグロリアに分かれるのである。

プリンス1500:国産車中の高性能が買われて警視庁のパトカーに。当時の皇居前は空いていた

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