【車屋四六】ガルウイングの元祖

コラム・特集 車屋四六

車が好きな若者達がガルウイングを知ったのは、トヨタのセラではないだろうか。そもそもガルウイングとは、カモメの羽。大きく広げて飛ぶ姿と、跳ね上げたドアの姿をダブらせて生まれ、車用語となったものである。

カモメが羽を広げて滑空する姿は美しいと誰も感じるだろう。その姿は、車造りがチャレンジしたいテーマのようで、古くからスケッチやショーモデルとして、度々登場してきた。

セラはそれを実現し市販したものだが、元祖ではない。既に、デローリアンとかカウンタックとか、少量の先輩達が居るが、この連中も元祖ではない。

ガルウイングを世界的に有名にしたのはメルセデスベンツ300SLだと確信するが、量産市販モデルでは、これが元祖だと思う。(写真トップ:二枚のドアを跳ね上げたベンツ300SLの姿は典型的ガルウイングの姿だ。トヨタ博物館蔵・隣コルベット初代)

セラは、ジェット戦闘機のキャノピーイメージでガラスルーフにこだわったら、構造的にこれしかなかったと云う。が、カウンタックと共に、私にはどう見ても広げたカモメの羽には見えない。羽を広げた姿なら、やはりベンツかデローリアンだが、ベンツもデザイナーの夢の実現ではなく、構造上の理由があった。

54年登場のベンツ300SLは軽量化目的で、当時はレーシングカー専用だった鋼管スペースフレームで仕上げた世界初の市販モデルだったと思う。

で、300SLが市販された時の車重は僅か1300㎏という軽さだったが、鋼管フレーム構造で異常に高いサイドシルになり、着座にはガバッと上に開くガルウイングしか無かったのである。

高く幅広のサイドシルを乗り越えての着座は一仕事

それでも低いシートには滑り込めず、ハンドルが外れる構造だったが、運転中に外れる危険を避けるために、水平方向に折れ曲がるようにした。苦肉の策である。

が、この美しい姿は、娘達には評判が良くなかった。スカート姿では、乗り降りのつど、男どもの好奇の眼差しを受けるからである。

さて、300SLのネーミングだが、300=3リットル、S=スポルト=スポーツ、L=ライヒト=軽い、ということである。

空力向上目的の低いボンネットのため、進行方向左に傾けて搭載したエンジンは、直列六気筒OHC、圧縮比9.5で225馬力/5900回転。初期型はソレックス三連装だったが、あとで噴射型に進化。

ベルリンオペラのホルスト・ヘルグートはトロンボーンの名手。来日公演があると銀座赤坂を飲み歩く間柄。66年にベルリンを訪れた時、300SLのオーナーを紹介してくれた。

彼は戦争中メッサーシュミット109戦闘機のパイロットだが「戦後戦闘機がないので300SLなんだ」と笑っていたが「よければ走ってらっしゃい」というのでアウトバーンに飛びだした。

日本中最高速度60キロ制限の国から来た日本人には、オートバーンの200キロオーバーは未知の世界、楽しく興奮したが、車を壊してはと、すぐに引き返した。

300SLはサーキットでもラリーでも活躍した。そのレーシング型W196Sがルマン24時間レースに出て、ジャガーとのトラブルで火だるまになり観客席に飛び込んだ惨事は有名だ。で、トップを走っていたのに、途中棄権。以後55年から89年までレース活動を休止したのも有名な話だ。

300SLそっくりなガルウイングのデローリアン。GM副社長デローリアンが脱サラ、理想の車造りを目指した。デザインはジウジアーロ

300SLは1400台が世界に出荷されて、数台が日本にも上陸。内一台を手に入れた石原裕次郎は一生大切にして、今でも裕次郎記念館に展示されているそうだ。一つ惜しまれるのは、ヘッドライトを縦目に改造したことである。