【車屋四六】新しいコブラと古いコブラ

コラム・特集 車屋四六

コブラで走ったのは、60年頃だったろうか。大学後輩の三保敬太郎が日本GP用に買い込んだものだった。ジャズピアニスト、作曲&編曲家、俳優、レーサーの通称”ミホケイ”は、銀座や赤坂で出会うと気軽にピアノでジャズを聴かせてくれた。

コブラ、正しくはACコブラだが、1904年ロンドン郊外に産声を上げた会社だから、イギリスでも老舗の一つだ。WWII以前は乗用車メーカーだが、戦後にスポーツカーを作り始め、その何作目かがコブラだった。

62年から65年までのコブラは289。289は気筒容積で立方吋だから、日本流なら4624㏄。ちなみにミホケイのは、コブラ427。

コブラ誕生の切っ掛けは、米レーシングドライバーのキャロル・シェルビーの企画。どうも輸入スポーツカーは迫力が足りない、アメリカのV8とドッキングすれば、とひらめいたのである。

で、コブラにはフォードのV8OHVを搭載。実は654台出荷された最初の75台は260/164馬力で、直ぐに289を追加、結果的に260、271、289、301を客が選ぶことが出来た。

さて、65~67年が問題の427時代で、出荷台数348台。427を翻訳すれば、6994㏄で425馬力。ミホケイのがこれで、公称ゼロ100キロ加速が僅か4.2秒。アクセルを踏んだ時のド迫力は、踏んだ者にしか判らないだろう。

六本木ヒルズ前に駐車していたACコブラ。素晴らしいコンディションだった

コブラはアメリカを中心に1000台ほどが世界に散ったが、数が少ない427は、今ではコレクターアイテムで、バブルが膨らんだ頃には、一億円ほどもの値が付いていた。

人気者だけに、ロータスセブンのように、各地でコピーが造られているが、結構な値段なのが玉にキズ。が、90年初頭、経営者が親しい自動車用品メーカー大手、カーメイトの子会社アールエスオリンが、手頃価格のレプリカを輸入した。

手頃と云っても600万円程だったが、製造元は米国ノースダコタの本格的レプリカメーカーのクラシックロードスター社。ボディーはアルミでなく、仕上げが美しいFRP製。が、全長4191㎜、全幅1828㎜はオリジナルより少し大柄だから、乗降と居住性は快適楽チンだった。

エンジンはフォード製V8OHVで4950㏄。フリークにはたまらないホーリー製四バレルダウンドラフト型キャブレター装備で、210馬力/4400回転。しかもレギュラーガス仕様なのも嬉しい。

3ATと4MTがあり、試乗のMT車は、44㎏という大トルクで、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ速、どのギヤから、どんな速度からでも、ヒト踏みで暴力的な加速を始めるのが楽しかった。

そんな走りを支えるタイヤは、前輪245/60VR15:後輪255/60VR15。走らなくとも、本格的バケットシートにヒップを落とし込み、四点シートベルトを締め上げただけで、コブラの世界に跳び込んでしまうほどである。

もっとも、この車レプリカだから、コブラ427は名乗れない。で、商品名はクラシック427だが、本物と二台並べなければ、誰が見てもコブラ427である。

レプリカのコブラに乗りはしゃいでいる私

が、どうしたことか、ながめているうちにノーズ先端の、コブラのバッジが存在感を主張しているのを見つけて、何かほっとしたのを憶えている。

いずれにしても、一級のロードゴーイングレーサーであった。

427が登場の65年は昭和40年。庶民憧れ三種の神器は”白黒TV、電気洗濯機、電気掃除機”から”カー、カラーTV、クーラー”いわゆる3C時代に。TVで人気番組は、太閤記、オバケのQ太郎、銭形平次、11PM、ジャングル大帝、ザガードマン。免許保有者2000万人越え、名神高速全通、完成乗用車輸入自由化、街ではレーシングカーブーム、日本初六車線高速道路第三京浜開通、そんな頃だった。