【車屋四六】ロータスセブン

コラム・特集 車屋四六

ロータスといえば、スポーツカーでは世界的に名の知れた存在だが、スポーツカーのメッカ、イギリスでは新参者で、ジャガー同様に車好きの少年が、一代で築き上げた会社である。

日本で知られるようになったのは、第一回日本グランプリ。生まれたばかりの鈴鹿サーキットを矢のように走る(そう見えた)二座席レーシングのロータス23からだろう。

そして第二回日本GPではフォーミュラカー登場、以後、船橋サーキットやFISCOで、エランやロータスコルチナなどが日本人のドライブで走るようになる。

車好き少年の名は、アンソニー・コリン・ブルース・チャプマン。我々には覚えにくい長い名前で28年生まれ。45年に両親からのクリスマスプレゼント37年型モーリス・エイトが初のマイカー。中古でも車をくれるのだから、裕福な家庭の子だったのだろう。その日から車にのめり込んだチャプマンは、47年にはオースチン・セブンを皮切りにバックヤードビルダーとなる。

車スポーツという病に取り憑かれたチャプマンは、52年にロータスエンジニアリング社を創立。その時代チャプマンは、自作のレーシングカーでアマチュアレースやヒルクライムを荒らし回っていた。

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やがてGPで活躍するBRMやバンウオールのサスペンションやシャシーを設計、チューニングするほどの技術を持ち、専門家の間では知られるようになる。世間では未だ無名だった。

ロータスの名を世間が知ようになるのは57年。ロンドン自動車ショー登場の二台のスポーツカーが脚光を浴びた時からだ。

プラスチックボディー二座席クーペのエリート。見るからにスパルタンな二座席ロードスターのセブン。ちなみにセブンの名の由来は、チャプマンが七番目に開発したスポーツカーということ。

彼は、自作のレーシングカーでアマチュアレースを荒らし回っていた頃に成績が良かったMKシックス(六番目)を、小遣いを切りつめて参加している仲間に提供できたらと考えていた。

その夢の実現がセブン。セブンの姿は、贅肉を全て取り去った姿だ。が、完成した車は、更に安くと、キットで売り出した。キットなら取引税がないからだ。買って自分で組み立てれば工賃もタダ。もちろん裕福なら完成車を買うことも出来る。

発売当初のセブンは587ポンド。やがて量産効果と合理化で339ポンドになる。走るのに必要な部品だけというセブンは、ジョンブルが好むスパルタンという面でも、天下一品だったろう。

当時のレーシングマシーンのような交換スペースフレームとサスペンション。軽量アルミボディー。入手簡単で安価な大衆車フォードポピュラーの1172㏄、変速機も大衆車オースチンA30用という気配り充分な構成だった。

が、軌道に乗ってからは多種類のエンジンが選択可能になる。またユーザーニーズだったのか、法規制のためかは知らないが、69年にはキット販売が中止された。

名声を博したロータスセブンは73年に生産を中止したが、世界中にファンが居て、現在でもコピーセブンが世界にたくさん存在するが、ロータスから治具金型を引き継いだケイターハムが、血統面では正統派と云って良いだろう。

セブン誕生の57年は、日本では昭和32年、国鉄初乗り運賃が10円の頃。敗戦後12年が経ち日本は元気を取り戻し始めたばかり。憧れの三種の神器は”白黒TV・電気洗濯機・電気冷蔵庫”。

セブン生産中止の73年ともなれば、運転免許所有者3000万人、狂乱物価インフレ率世界一、祝日振り替え法成立と、日本経済は豊かな時代を迎えていた。

一台売れる毎に赤字が出たというロータスエリート