【車屋四六】トヨタ、業界のドン日産に挑む
一枚の写真を紹介しよう。霧にかすんだ背景から察すると、たぶん箱根芦ノ湖ではないかと推測される。 どんな目的で撮られたものか判らないが、左からコロナ、ルノー、ヒルマン、スカイライン、オースチン、当時国産の最新鋭乗用車がズラ […]
続きを読む一枚の写真を紹介しよう。霧にかすんだ背景から察すると、たぶん箱根芦ノ湖ではないかと推測される。 どんな目的で撮られたものか判らないが、左からコロナ、ルノー、ヒルマン、スカイライン、オースチン、当時国産の最新鋭乗用車がズラ […]
続きを読む1991年6月23日、朝起きて「さてどうなった」とTVのスイッチを入れたら驚いた。こいつは夢かと思ったり、今日は4月1日でもないし。とにかくルマン24時間レースで、マツダのロータリーエンジン車がトップを走っていた。結果は […]
続きを読むスチュードベイカーという会社はもう無い。名門高級車パッカードと54年に合併したが、世の荒波を乗り越えられずに、64年に消えていった。 スチュードベイカー社は1902年の創業だから老舗中の老舗である。が、馬車屋だった時代を […]
続きを読むいわゆるライトウエイト・スポーツカーの本場は、WWII以前からのイギリスだろうが、それに各国ヨーロッパ勢が加わり発展、戦後は裕福なアメリカ市場で大活躍して、ドルを稼いでいた。 そんな熟成した市場に、こともあろうに後進国日 […]
続きを読むWWII終戦後にヨーロッパに多生した軽自動車も、やがて世の中が落ち着くにつれて淘汰の波に飲み込まれて消えていった。が、日本の軽自動車だけが生き残り、確固たる市場を形成、発展を続けたことを何度も紹介してきた。 日本の軽自動 […]
続きを読む広島のマツダは老舗で、東洋工業と呼んでいた。初めはコルクや削岩機を作っていたが、WWII以前に始めた三輪貨物自動車で自動車メーカーの仲間入りをした。 このオート三輪業界では一流で、特に戦後の混乱期の昭和20年代には流通業 […]
続きを読む文・写真:吉田直志(automobile columnist) 本格的な冬が訪れる前にと西湘を愉しむドライブへと出掛けることにした。政財界の要人の別荘地が多くあった大磯、小田原城を中心とした城下町、そして小田原港など、か […]
続きを読む慶応大学を卒業した1956年(昭31)頃は就職難で、慶応航空部長の佐藤豪工学部教授の紹介で共栄開発(株)に就職。初出社の日、鬼瓦が眼鏡を掛けたような顔の総務部長からウヤウヤしく手渡された辞令が毛筆で、給料金九千三百円也と […]
続きを読む3列シートを備え多人数乗車を余裕でこなす大型ミニバンから、取り回しの良さや高い経済性で若い子育て層を中心に支持を集めるハイト系軽自動車まで、ファミリーカーは時代のニーズにあわせて進化を果たしてきた日本独自の自動車文化と言 […]
続きを読む軽自動車は取り回しや高い経済性が魅力だけど小さすぎる、ミニバンは便利だけどもっと小さいクルマがほしい…。そんなニーズに応えるように誕生したのがソリオだ。軽自動車より一回り大きいボディに広々とした室内空間と、狭い場所への駐 […]
続きを読む