【車屋四六】クライスラーが元気だった頃

コラム・特集 車屋四六

自動車産業で、20世紀はアメリカの世紀だったと思う。前半フォードの流れ作業で車が大衆の手に、後半WWIIが終わり、国内に戦場がない無傷なアメリカは、世界中の富が集まったかのように裕福で光り輝いていた。

で、50年代、60年代のアメリカ車は、馬力競争に明け暮れながらサイズの拡大化が進んだ。50年代は戦前からの老舗に新参も加わり賑やかだったが、50年代半ばから老舗淘汰の時代に入る。

いずれにしても、その頂点に坐るビッグスリーは王者の風格で業界に君臨していた。21世紀に入り、よもや自分達がやっつけた国のトヨタに巨人GMが抜かれ、生産量で中国に抜かれようとは、想像することも出来なかったろう。

今ではフィアットの助けを借りるクライスラーも、当時は馬力競争の先頭切って走っていた。先ず決定打を放ったのがクライスラー300。(写真トップ:裕福な米国を象徴するように、大柄・ゴージャス・大馬力豪快加速、三拍子揃った高級スポーティーカーだった)同年、独立車種になった最高級クライスラー・インペリアルと同じグリルを持つ、豪華ビッグなスポーティークーペだった。

馬鹿みたいな加速力を生むOHVのV8エンジンは6000㏄、ダウンドラフトのフォーバレルキャブレターを二個も付けて、300hp/5200rpmはアメリカ初の300馬力台で、それがクライスラー300というネーミングの由来だった。

クライスラーファミリーの大衆車プリムス、中級車ダッジ、大人っぽいデソート、そして最上のクライスラーのスポーティー車らしく装備も豪華。パワーステアリング、パワーウインドー、パワーブレーキ、パワーシート、当時これをオールパワー車と呼んでいた。

まだオプションの時代だがエアコンを装備、後席にもスピーカーを持つ自動選局型ラジオの迫力ある音質も素晴らしい。ワイヤスポークホイールにホワイトサイドウオールタイヤがお洒落だった。

ちなみに、50年頃には高級車でも珍しかったエアコンも、僅か5年でかなりな普及を見せていた。もちろん日本に持ち込まれるクライスラークラスのほとんどは装備済みだった。

ATについても同じようなことが云える。ATのパワーフライトはクライスラーの商品名。アクセルの一踏みで、二本のエキゾーストパイプから、ズ太い排気音を轟かせ走る姿は豪快そのもの。

はじめて300を走らせたのは六本木だった。いまの東京ミッドタウンは以前防衛庁で、戦後は米軍第八騎兵師団が駐屯していた。其処の将校に借りたものである。

麻布界隈を楽しんでから返したが、途中で気がついて「左ドアの三角窓の柱がゆるんでグラグラだよ」と注意したら「仕方ないんだ」仲間の300もみなグラグラだという。

当時はアメ車を運転する時に、窓を開けて左の肘を外に出し、右手で片手運転をするドライバーが多かった。300では、あまりに強い加速に耐えるために、三角窓の柱を掴み加速のGに耐えるので、緩んでしまうというのである。

論より証拠とアクセルを全開すると、いきなり鋭いホイールスピンの悲鳴が聞こえてから発進、加速中も悲鳴は続き、二速に入ってまたもや長い悲鳴、という始末だった。

話変わって、最近オートショーでは、各社工夫を凝らしたコンセプトカーなるものが目を楽しませてくれるが、50年代アメリカではこの種の車をドリームカーと呼んで、各社に登場した。

後年オークション会場に登場のドリームカー・エレガンス:クライスラー・ニューヨーカーをベースにギアで製作

ドリームカーの多くは、イタリーのカロッツェリアの作品で、ピニンファリナ、ベルトーネ、ビニヤーレなど有名スタジオの手になるものが多かった。

ドリームカーの何台かは、後年市販モデルの原型となることも多い。クライスラーではカロッツェリア・ギアの作品が多く、クライスラー300にもそんな原型モデルがあった。

53年のオートショーのクライスラーブースを飾る”エレガンス”と呼ぶ美しいフロント三人掛けのクーペ。当時のアメ車はベンチシートだから、ほとんどの乗用車で横三人掛けが可能だった。

エレガンスはニューヨーカーのV8エンジンとシャシーをベースに開発されたものだが、それが300の原型と思っている。更にさかのぼり、51年ショーのクライスラーK310ギアという車がルーツだったのかも知れない。

社最上級のクライスラーシリーズから独立の最高級車インペリアル55年型:メッキ輝くボディーのテールエンドに尾灯がチョッコリと。300は共通のグリルで高級感を演出

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