【車屋四六】名人芸にも多種多様

コラム・特集 車屋四六

栗島さんという運転手がいた。昭和30年代、まだオーナードライバーが珍しい時代は、運転手といえば運転が職業という人達ばかり、栗島さんもプロドライバーだった。

当然のようにプロドライバー達の運転技術は高かった。ハイヤーやお抱え運転手達の、ショックもなく流れるような運転は見事なもので、言い替えれば名人芸というやつである。

一方、同じプロドライバーでもタクシー運転手。こいつは喧しく警笛を鳴らし、急発進、急停車、割り込みなどは朝飯まえ、人呼んで“神風タクシー”。見事と云えば見事である。この、はた迷惑な乱暴運転も見方を変えれば名人芸だろう。

が、栗島さんの運転は、どちらにも属さない。彼は東和映画、川喜多社長の専属運転手。東和映画は外国映画の輸入会社で、創業1928年という業界の老舗。創業者は川喜多長政だが、二代目社長は白州次郎の次男、白州春正という由緒ある会社でもある。

昭和30年代、私は日本橋茅場町の市場通りで給油所+修理工場をやっていた。当時の給油所は今のように天井から給油ホースが下がるものではなく、地面に設置した給油機から給油した。

開業前、川崎のシェル石油の講習でイギリス人講師が、給油機は車がぶつからないように高い台の上に設置するが、その台をアイランドと呼ぶ、そして給油機はトールボーイだと説明していた。お抱え運転手には律儀なのか、腕に誇りを持つのか、いつも正確にアイランドに並行、しかもアイランドとタイヤの距離は物差しで測ったように、毎回各自同じ距離に停める。20センチの人、30センチの人、人それぞれだが、各自一定だった。別に意味のあることではないが、プロの誇りなのか、見栄を張っているのか、とにかく毎回同じなのである。栗島さんも停める位置は同じだったが、他のベテラン達とは少々違いがあった。

イタリーAGIPのガソリンスタンドの全景。高くなったアイランドとトールボーイ(給油機)の様子がよく判る

ほとんどのベテランが、道路から流れるように入ってきて静かに停まるのだが、何時も栗島さんは、市場通りを築地の方から高速でやって来る→反対車線から一気にハンドルを切りタイヤを鳴らして飛び込んで来ると、ハンドル切り返し一発で急停車。まるでゲームを楽しんでいるかのようだった。たまたまバックの時も、ハラハラするようなスピードで、同じように停める。それは見事なもので、他の運転手が「名人芸だね」と褒めたほどである。

栗島さんの車は1956年型ベンツ219型だった。(写真トップ:メルセデスベンツ219型1956年製:当時はホワイトサイドウォール・タイヤが流行、フェンダーミラーが出始め。マスコットのスリーポインテッドスターは駐車中よく折られた)

219型のリアビュー:現在のC、E、S等と同じように当時もトランクリッド中央の数字以外でシリーズの姿に差異はほとんど無い。当時ベンツのキーは重く大きなノーメッキの鉄製だった

その頃ヤナセ扱いのベンツは、180型、220型、大型豪華な300型で、219型は無しだから、たぶん日本で唯一台だったはず。ヤナセで一番人気の売れ筋は現在のEクラスに相当する220の上等装備220Sだった。

ベンツもBMWも、輸入しないシリーズが沢山ある。219型もそんなたぐいの車だ。それが日本にあるのは、日本人は海外に行けないが、映画買い付けで頻繁に外国に行く川喜多社長が、ドイツで買ってきたのだろう。

ちなみにベンツの180型は直列四気筒、200型は直列六気筒と差別化されていた。その2199㏄エンジンが、220は120馬力、219が100馬力と出力の差があるので、最高速度も160キロと148㎞の差があった。

でも日本で使う分にはダッシュ力に不満はなし。四輪独立懸架のロードホールディングが素晴らしかったが、一つ日本人にとっての不満は、コラムシフトレバーが遠すぎることだった。レバーの位置がフロントウインドーに近いポジションの時は、シートから背中を離さないと届かない。こいつはVWビートルも同じで、ヤナセでフロアシフトレバーの上部を手前に曲げて貰って乗りやすくなった。

「この作業よくやるんです」とヤナセの整備工が云った。人間の先祖は猿だと云うが、ドイツ人の先祖は、きっと手長猿なのだろうと後日仲間達と笑った。

ある日栗島さんが「車替えるから219の嫁入り先をさがしくれませんか」というので、渡りに船とばかりにマイカーにして暫く楽しむことが出来た。

「栗島さん運転うまいね」と話していたら、昔を知る運転手仲間が、彼は戦前に競争自動車に乗っていたという。以前紹介した本田宗一郎や藤本軍次のレース興業の出場選手だったのだ。

その腕前を見込まれたのか、戦後暫くはマッカーサー司令官の運転手だったそうだ。もちろん例の五つ星キャデラックの運転手は兵隊だから、私用や家族が使うキャデラックの方だったのだろう。

近頃でも腕の良いプロドライバーはたくさん居るが、腕に誇りを持ち、それをひけらかさないプロを見かけなくなった。