【車屋四六】レポートUSA

車屋四六 コラム

今回は1990年=平成2年11月5日、午後1時日本航空で成田空港を飛び立ったところが始まり。一路アメリカ、東向きの飛行では、いやに早く夜が来る。で、一杯飲んで一眠り。

目が覚めるとシカゴ空港。時計を見ると11月5日午前9時。一眠りしただけで4時間若返ったのだ。こいつはいい、何度も来ればドンドン若くなって、女学生にもてた頃に戻れるかもしれない。そうだこれがアインシュタインの相対性原理なのだ、などとアホなことを考えたりしながら、入国手続き。「目的は」「観光」「悪い物持ってないか」「ない」「申告するものは」「ない」。当時のアメリカ、いや世界の先進国なら日本人観光客にはおおらかだった。

燃料サーチャージもなく、入出国も私のような紳士?だと荷物検査もなく、靴を脱がされたりすることもなく、簡単な質問応答ですべてパス、気軽に旅を楽しめる時代だった。

昭和40年代までは外国で日本人に会うことは稀で、会うと嬉しくなったものだが、近頃では会わずに済ますことは福引きの一等賞を引き当てるより難しい芸当になった。カタコト日本語の娘売り子が世界中の土産物屋に。日本酒、焼酎、鮨、天ぷら、時にはお茶漬けだって食べられる。懐が豊になった同胞が世界を闊歩した結果なのだろう。

シカゴの夜も松茸の土瓶蒸し、霜降りのしゃぶしゃぶ、猪口で日本酒を飲んでからのハシゴの先はクラブ“志乃”。綺麗なママさんが「アーラいらっしゃい」と着物姿で出迎えてくれた。

席に着くと、我々の席に付いた娘達は、日本語カタコトのヤンキーガール&韓国娘&フィリピン娘。周りを見渡すと、四人に一人ほどが大和撫子という割合いだった。

クラブの雰囲気は、まるで銀座のクラブ。ふと唄が聞こえるステージに目をやると、ダークスーツの日本人がレーザーカラオケで“津軽海峡冬景色”を唄っている。酩酊気分で外の冷たい風に当たって気が付くと其処はアメリカ。ドア一枚で銀座とアメリカが入れ替わる、このギャップは何だろうと考え込んでしまった。

シカゴとくればジャズの本場。で、生演奏のクラブを希望した。が、一言付け加えるのを忘れてガッカリする。未だ煙草が吸えた頃の煙モウモウの席に座って見たステージには、エレキベース伴奏のキーボードを弾く黒人だったのでガッカリ。

「そうじゃない聞きたかったのは30年代のジャズなんだ」と思ったが後の祭り。もう若者達のジャズは、こんな物なのか、と年寄り達が嘆くことしばしだった。

禁酒法時代シカゴの酒場で虐殺を見たバンドマン二人は(トニーカーチス&ジャックレモン)ギャングに追われて女装で女楽団(歌手モンロー)に紛れ込む・着いた所がコロナードホテル・映画はドタバタ喜劇・トップガンでも使われたホテルは米国最大の木造建築ホテル・前で三菱Σの記念写真

アメリカは、おとり捜査や盗聴をFBIまでもがやる国である。油断も隙もならない。速度違反には注意と念を押された。上空のヘリコプターが計ってパトカーに通報などは朝飯前、反対車線からレーダー計測、やおらUターンして追ってくる。日本の常識では用心しても、すぐにパくられることになる。

友人が速度違反で切符を切られたが払わず帰国。数ヶ月後に警視庁に呼びだされ「出頭するか罰金を小切手で郵送」と云われた。「アメリカばかりじゃない、ドイツの駐車違反も警視庁呼び出しだった」違反常習の彼は著名な自動車評論家である。

「午後にはたぶん雪」と運転手が云う寒いシカゴ空港を飛び立ち、上空から見るとミズーリ河までは雪景色。河を越えたあたりから雪が消え、西部劇で見慣れた荒涼たる地形が続く。

コロラドからロッキー山脈越えは天地創造のような風景。その後は砂漠で、目的のロサンゼルスに降りたら、青空に眩しい太陽、歩く人達は半袖とTシャツ、アメリカは広いと改めて思った。

シカゴのフリーウェイで、右ニューヨーク・左ロサンゼルスの案内標識を見た。シカゴからロスまでジェット機で4時間、時差2時間。あそこを右に曲がったらさぞかし疲れるだろうなと思った。その道“ルート66”が題名の連続TVを昔見たのを想い出す。若者二人がコルベットで旅する珍道中物語りだった。

半袖の綿シャツに着替え、三菱Σで出かけたサンディエゴの軍港に軍艦が居ない「湾岸戦争で中近東に出払ってる」とのこと。で、モンローの“お熱いのがお好き”で有名なコロナードホテル前に車を止めて記念写真。見事にオノボリさんである。

スペイン語のTVチャネルがあるほどのサンディエゴの風情は正にスペイン。国境を越えればマリアッチで有名なティファナだが、出国は簡単・再入国大変と聞いて、行くのを諦めた。

帰国の朝、ロスのハイウェイは朝のラッシュだが、左の一車線だけが空いている。この車線は一台二人以上乗車で通行可能、もちろんバスはOK。市内に向かう車を減らそうという知恵である。

ベトナム戦から手を引いたのに、湾岸戦争。90年代に入りケツに火が点いたようなアメリカだが、広い国内はまだまだノンビリとした暮らしもある豊かな国だった。(91年1月19日の記事より)

湾岸戦争で中近東へ出払って軍艦の居ないサンディエゴ港の帆船の前でΣとディアマンテの記念撮影

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