【車屋四六】華のパリ道中記(2)
ローマからパリのオルリー空港(まだドゴール空港はない)に着いたら、フランス・グッドイヤー社広告代理店のシャルドー社長が出迎えに来てくれていた。 彼のシムカ1000GLに乗せられて、空港からホテルに向かった。映画でしか見た […]
続きを読むローマからパリのオルリー空港(まだドゴール空港はない)に着いたら、フランス・グッドイヤー社広告代理店のシャルドー社長が出迎えに来てくれていた。 彼のシムカ1000GLに乗せられて、空港からホテルに向かった。映画でしか見た […]
続きを読む1966年(昭和41年)頃の日本は、東京オリンピックも終わり、もう戦争の傷跡もほとんど消え、世の中明るさを取り戻していた。東京も、あちらこちらに散在した進駐軍の施設やキャンプも整理統合され、街を歩くGIも減り、かつてのふ […]
続きを読む僅か2年間ほどの船橋サーキットについては、前回紹介した。浮谷東次郎vs生沢徹の名勝負も紹介したが、走る車は多彩で、世界の有名レーシングカーが登場した。 日本勢の花形は、フェアレディ2000、スカイライン2000GT、ホン […]
続きを読む7月に実施された大幅改良によって、新たに1・5ディーゼルターボエンジン搭載モデルが登場したマツダ・アクセラ。また、エンジンでシャシー性能を高めるという「G‐ベクタリングコントロール(GVC)」も新たに採用され、さらに人馬 […]
続きを読む内燃機関が登場、熱気球、飛行機、飛行船、もちろん自動車、いろんな所に話が脱線したが、日本が出てこなかった。今世紀初頭、運の神様は、この近代的機械文明、特に空の機械については、東洋の離れ小島には興味がなかったのだろう。 だ […]
続きを読む事故でも起こせば物笑いの種と21世紀に入り廃業したが、20世紀後半の50年間ほど、私は航空写真撮影で飛行機を操縦していた。 初めて買った中古の1953年型パイパー・ペイサーは、鋼管羽布張り135馬力四人乗りのオンボロ機で […]
続きを読む前回は、競争のせいで、飛行機の速度が飛躍的に向上したことを報告したが、それはエンジンの馬力向上競争でもあった。 速度の向上ぶりを並べてみると、後半は水上機のオンパレードだと気が付くだろう。理由は簡単。高速機を離陸させるた […]
続きを読む自動車競争というものは、遅すぎると手持ちぶさたでイライラするが、速すぎれば闇雲に興奮するだけで親しみが無くなる。鈴鹿の第一回GP、当時は車が遅かったとはいえ、スバル360やスズキフロンテの走りは、何か間が抜けていたが、近 […]
続きを読む第二次世界大戦の間、ルマン24時間レースはお休みだった。そして、戦争後のどさくさが一段落した1949年、戦後の第一回ルマン24時間が開催された。 日本では昭和24年、未だ国中貧乏だったが、湯川秀樹博士の日本人初ノーベル賞 […]
続きを読むWWII以後のアメリカは、飛行機の速度向上に異常な執着心を示した。挙げ句の果ては、ジェット機からマッハ6を越えるロケット機まで開発したが、ロケット機は不要と判断したのか、途中から目標を宇宙に切り替えたのは、御承知の通り。 […]
続きを読む