【車屋四六】GMさん勝手におやりよ

コラム・特集 車屋四六

アメリカ人は、言葉を短縮するのが好きだ。テレビジョンをTV、コカコーラをコークというように、1955年突如登場したフォードのサンダーバードも”Tバード”と呼ぶようになった。

1955年といえば昭和30年、敗戦から10年を経てはいたが、未だ日本は貧乏で、スクーターさえ憧れの我々から見たTバードは、でかいズー体に二人しか乗れない、なんて贅沢で非常識な乗り物なのだろうかと思ったものである。

スポーツカーは二人乗りが常識だったが、イギリス製も、ドイツ製も、もっと小柄な造りだった。しかもTバードは、イギリス生まれのロードスターのように幌屋根ではなく、ハードトップを脱着できるところも、先進大国アメリカ製を思わせた。その後、この手法はベンツのSLにも、またユーノスロードスターにも導入されて、最近では電動で格納する時代になっている。

Tバードのハードトップは手での脱着だが、量産車で電動格納の世界初は1958年のフォード・ギャラクシーで世界の注目を集めた。もっとも、あまり知られてはいないが、1938年頃のプジョー402に電動格納型が存在したが、世界を驚かせ感心させたのは、フォードである。が、何故か一代限りで終わった。

Tバードの心臓は、当然のようにV8だったが、戦前ギャング時代から勇名をはせた伝統のサイドバルブ型ではなく、戦後開発バリバリのオーバーヘッドバルブに生まれ変わっていた。5200㏄で205馬力は、当時のアメリカ車の中でもトップレベルの力持ち。最高速113マイル=180km/hとカタログで誇示した。

今でこそ小さな日本製でもリミッターが働く180キロまで簡単に回るが、1955頃までは大排気量のアメ車でも、シボレーやフォード、プリムスなどの大衆車、直6搭載の中級車では、カタログでは100マイルでも実際には無理なスピードだったのである。

前記、大衆車では幾らアクセルを踏み続けても、90~95マイル。友人の所のポンティアック48年型は直列8気筒なのに100マイルの手前で針は止まった。経験上100マイルをクリアするには、キャデラックやパッカード、リンカーン、クライスラーなど高級車のV8が必要だった。

話は脱線するが、昭和30年頃だった。羽田を離陸して宇都宮飛行場(富士重工飛行場)に向けて、米国製パイパー135馬力で飛んでいた。速度は100マイル=160キロほどだった。

1953年型パイパーPA135:日本学生滑空選手権大会で九州曽根飛行場に集結。手前二機がグライダー曳航用パイパースーパーカブ(宇都宮へ飛んだ機体)鋼管羽布張りタンデム二座席。これの四座席型が私最初のマイプレーン

宇都宮の手前、雀宮あたりに長い直線路があり、ふと下を見ると54年型パッカードが走っていたが、数分後にはもう見えなかった。当時パッカードは、アメリカ車の中でも速い車で「速いと云ったところで矢張り自動車」と隣のコーパイと話したのは早とちり。ふと前方を見るとパッカードが走っている。当日は日光方面からの向かい風が強かったから、飛行機の速度計が100マイルでも、20マイルの向かい風なら、対地速度は80マイル=128キロだが、それにしても「自動車に負けるとは」とがっかりしたものだった。

いずれにしても当時のアメリカ製高級車は速かったが、Tバードは大衆車なのに、スポーツカーとはいえ113マイルだから「こいつは凄い」と思った。が、いくら憧れても高嶺の花だった。

Tバードの企画は成功した。当時アメリカはパワーウォーズの真っ最中で、57年型では5200㏄から5800㏄へ。とりあえずTバードは順調だったのに、フォードは戦術を転換した。

いくらアメリカの自動車市場が巨大でも、スポーツカー市場はそれほどでかいものではない。そんな市場に欧州から続々と輸入されるスポーツカー、そして米国のコルベットとTバード、小さなパイだから熾烈な戦いのわりには、うま味はない考えたようだ。

で、1958年登場の新Tバードは、もうスポーツカーではなかった。7000㏄のV8は350馬力を誇ってはいたが、立派な四ドアセダンでスポーティーなパーソナルカーに変身していた。

が、ライバルのコルベットは、その後も二座席スポーツカーに固執し、いまだにそれを貫き、アメリカン・スポーツカーとして不動の地位とブランドを築き上げたが、GM再建後の行方は少々心配でもある。何とか存続して欲しいものだ。

さて、スポーツカーにこだわらずに変身したTバードは、読みが当り、売り上げではコルベットに大きな差を付けながら成長した。

都下立川市に飛行場がある。防衛庁、東京消防庁、警視庁などのヘリコプター基地で、たまに自衛隊輸送機C1も飛来する。戦前は陸軍航空隊基地、戦後は米軍が接収、航空隊と共にアメリカンビレッジと呼ぶ米軍人軍属の住宅地区もあった。

其処に友人の米軍軍属のMr,ストレイトが住んでいた。ある日の電話で「Tバードを買ったから見に来ないか」というので、彼の家に泊まりがけで見に行った。

立川は日帰りコースだが、泊まったのは、基地のクラブで旨い料理が食え、旨い酒をたらふく飲めるからだ。今にして思えば随分と意地汚い根性だが、昭和30年代半ばの日本は、未だ裕福ではなく、アメリカの食べ物、飲み物、全て憧れの時代だった。

写真は彼の1961年型Tバードではないが、翌年の特別モデルを紹介しておく。

1962年型Tバード:こいつは参考出品。58年以来セダンに変身したが、二座席への憧れが強く多分特注したものだろう。気持ち良いほどノビノビとした姿である

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