【車屋四六】新規登録用謄本が出てきた

コラム・特集 車屋四六

新規登録用謄本というのがある。今もあるのかどうか知らないが、引き出しの奥から出てきたので、懐かしく眺めていた。もっとも、売買は全て自動車屋任せという人達は見たことがないだろう。

陸運局に登録済みの自動車を、スクラップにせず廃車して請求すればくれる立派な証書である。戸籍謄本のような物で、これさえあれば、何時でも再登録、車検が受けられるのだ。

 

出てきた謄本は、かつて愛用した1952年型キャデラック75型の物。それは「新品同様スバラシイ品だが大きすぎて買い手が付かない」と親しい赤坂の自動車ブローカーが持ち込んだ車だった。(写真右:新規登録用謄本:この謄本と現物が有れば、何時でも再登録が可能。1964年8月24日廃車と記載されている。国産愛用の政府方針で一万田日銀総裁が乗れなくなったように、記憶では岸首相オースチンA50,片山哲元首相ヒルマン、高松宮もクラウンだった。)

素性を聞くと、一万田日銀総裁用にヤナセが納入したが、政府の国産車愛用決定で、新車のまま車庫に眠っていたのだという。400万円以上だったろうが、50万円というので、買ってしまった。

もう7年程が経過していただろうに、傷もなく、ドアを開けると新車特有の革の臭いが、プーンと鼻を突いた。早速茅場町に帰り、給油して、運転席のドアを開けたらハンドルがないので慌てたら、後席のドアだった。それほど全長の長い車だった。

もちろん今では謄本だけだが、もし車が有ればクラシックカーとして1000万円は超えるだろう。75には希少価値がある。52年型75型リムジンの全生産量は800台。うち2台が日本に輸入されて、宮内庁と日銀に。1960年頃、日本にはアメリカ大使館の最新型も含めても、75型リムジンは6台しか存在しなかった。

その頃のキャデラックには、廉価版60型、上級の60S(スペシアル)型があり、その60S型を馬車時代からの名門、フリートウッドでストレッチ、高級な架装を施したのが75型である(写真トップ)。

まずリムジンの定番、運転席後の間仕切りがブ厚い三層ガラスで、ドアガラスと共に油圧で音もなく上下する。その遮音力は大したもので、大声を上げても運転手には届かず、必要あればチョット下げて会話する。もちろん開閉は後席からのみ。

キャビンの静粛度は、現在世界最高であろうセンチュリーを上回るだろう。時速100㎞で走行中、エンジン音も排気音も、タイヤノイズさえ皆無。もちろん外部へも漏れないから、極秘の商談や、いい女を口説くには、またとない空間なのである。

コンベアーシステム、流れ作業のメッカであるアメリカ製品なのに、75型は手作りが一杯。前後席共に、下から覗くと木骨で組み立てられている。シートの革も手縫いだった。また、床のカーペットの下には、通常の遮音材に加えて、10ミリほどのフエルトがしっかりと敷き詰められていた。

間仕切りの下に納まる補助シートを出すと8人乗り、で、エイトパセンジャー・リムジンと呼ぶ。間仕切りから前の運転席は、シート、天井、ドア内張、全て牛の一枚革、親しい家具屋が「傷がない大きな一枚革は貴重」と感心していた。

後席インテリアのトリムは、ニスで光り輝くローズウッドがふんだんに使われているが、運転席は鉄板に黒い塗装仕上げ、要するに、間仕切りの向こうは使用人の席と割り切っているのだ。

逆に、間仕切りから後は、シート、床、天井、ドア、全て純毛仕上げ。この前後の違いは、馬車時代からの伝統なのだ。当時は冷房車が珍しい時代であるが、75型の温度センサー付きオートエアコンは、温風と冷風の二系統。

そのファンの数が多いこと。冷房用が後席に左右2個(運転席に冷房は効かない)。温風は後席足下から左右2個。窓を開ける必要性か、運転席は入念だ。デフロースター専用が左右2個、床前方に1個、運転手の床下に大型1個、という物々しさである。

当時の日本はラジオがオプションの時代だから、付いているだけで誇らしい気分で、音が出てれば上々。そんな時代に、75型のラジオはリモコンで後席からの選曲が可能だった。

大型楕円コーン型スピーカーからの低音は最高で、それをドライブするアンプ終段の真空管は、6V6型出力管を2本も並べたダブルプッシュプル型で、それは高音質・高出力の応接間用電蓄にも使われる装備であった。

2トンもある75を、アクセル一踏みで100マイル近くまで加速するV8は、5392㏄で190馬力+三速ハイドラマティックAT。特別にチューニングされているようで、400~500回転で振動もしないで回るアイドルにも感心した。

室内の静かさは見事なもので、回っているのに運転席でセルを回して一人苦笑いをしたり、またエンジンを掛けたままでも給油中に気づかれることはなかった。左テイルランプを跳ね上げると給油口が出てくる仕掛けが面白かったが、その真下のバンパーに排気口があるのだから、危ないことをして喜んでいたものだ。

三列シートで8人乗りだが、補助シートの幅が最大で、小柄な日本人なら楽に4人座れ、10人乗ってナイトクラブに着き、ドアボーイが開けたドアから際限なく人が降りてくるのに驚く姿も面白かった。二列なら、後席から幾ら足を伸ばして前席に届かず、床に座って、ギターの弾き語りをする友人もいた。

キャデラック75型リムジンは、現在のミニバンほどに人が乗れ、大勢で楽しい旅が出来る乗用車だった。添付の写真は、ドイツのスパイカメラ、ミノックスで撮ったものだから、画像が荒いところはご勘弁を。

キャデラック75型リムジン1952年型:出来たばかりの芝増上寺内のゴルフ練習場(現在はプリンスタワー・ホテル)。全長5900mm。車重2158㎏。V8OHV5296㏄190hp/4000rpm。3AT。新車価格$5643