【車屋四六】欲張り人類の飽くなき速度の追求

コラム・特集 車屋四六

人という生物は欲の塊りのようで、良い記録が出ても、記録を破っても、満足することがない。もっとも、それで科学や道具が進歩するとも云えるのだが。

例えば、自動車で音速を突破しようという奴もいる。そうなりゃ命がけということになるのだが、それでもチャレンジする奴が居る。何故そんなに速く走る必要があるのだろうか。馬鹿げたことだと思う人も沢山居るだろう。

長いこと、スピードへの挑戦で必需品だったのが内燃機関だったのだが、そんなものではらちがあかない、というわけで、近頃ではジェットエンジンからロケットまで登場する始末である。

が、これらは自動車の場合であって、飛行機の場合は、速さの追求も致し方ないと思う。特に兵器の場合には、速いほど、安全、強さに繋がっていくからだ。

WWII開戦前、世界一速い戦闘機は、ドイツのメッサーシュミットBf109。1939年に755.11km/hを記録。列強の空軍が恐れをなしたが、こいつは速度記録用の特別機で、姿はそっくりだが中身はレーシングマシーンだったことが、戦後になって判った。

WWII中に登場した速い奴は、やはりメッサーシュミットMe262だが、こいつは双発ジェット戦闘機で、後にハインケル単発ジェット戦闘機なども登場する。いずれにしても、実用ジェット戦闘機の世界初はドイツということになる。

とにかく列強最速戦闘機に時速200km/hもの差を付けたのだから大したもの。登場がもう少し早かったらというが、ヒトラーの付けた兵器採用の優先順位で開発が遅れ、加えて空対空ロケット弾工場が連合軍の爆撃で破壊されたことも活躍の場を失った原因。

が、もっと速い奴もいる。時速1000キロを超えたのは、矢張りメッサーシュミットでMe163迎撃戦闘機だが、こいつの動力はロケットエンジン。後にも先にも、ロケット戦闘機はこれだけだ。Me163は30㎜機関砲2門(ゼロ戦は20㎜)+ロケット弾4発。

メッサーシュミットMe163 /1941年:世界唯一実戦投入のロケット迎撃機。連合軍爆撃機を恐怖に陥れたが、エンジン稼働時間5分では大きな戦果は無理だった。ヴァルター液体ロケット推力1700㎏。最高955km/h。30mm機関砲x2

で、爆撃機の下方から垂直上昇で擦れ違いざまに射撃、上方に駆け抜けた頂点でロケット燃料が尽きると反転、急降下しながらの擦れ違いざまにもう一撃という戦法。後はグライダーよろしく飛行場に帰還する。

さて、WWWII後の記録は、戦勝国アメリカが加わることで飛躍的に向上する。1967年に飛んだ、ノースアメリカンX-15型ロケット機の記録は、マッハ6.7。ということは、もう一息で地球の引力に打ち勝って、宇宙に飛び出せる速さということになる。これが有人ロケット飛行機での世界最速記録である。

ちなみに音速とは、1気圧で摂氏15度の時に340m/秒だから、時速に換算すれば1224km/hになる。気温や大気密度などで変わるが、単純計算でマッハ6.7は8207km/hということになる。

宇宙ロケットを除けば、空飛ぶ機械の速度挑戦は、そろそろ限界に来たようだ。で、陸の方、自動車の方のFIA記録を調べてみた。

先ず、1898年の63.15km/hはフランスの電気自動車で、99年にベルギーが66.66km/hを出して記録更新。しばらくの間、電気自動車でフランスとベルギーの戦いが続いて、99年にベルギーの105.88km/hで、電気自動車の戦いは終わるのである。

1902年に記録された120.80km/hは、フランスが誇るレオン・セルポレの蒸気自動車である。次にそれを破るのは第56回で登場のお馴染みバンダービルトだが、アメリカ人ではあるが自動車はモース、場所はフランスである。

さて、FIAの記録で、私の手元には120km/h台がない。で、次の147.05km/hを記録したのが大衆車を作る前の常識的車を造っていた時代のヘンリー・フォードで、1902年自作の記録挑戦用のフォード・アローで樹立したもの。

が、僅か2年後の1904年に、219.31km/hを記録するのが、第54回で登場のスタンリースチーマー、蒸気自動車だ。ここで、少々速度は下がるが二輪の記録も紹介しておこう。1907年にグレン・カーチスが202.68km/h、エンジンはカーチスV8/40馬力。

さて、この辺りからの挑戦は市販車ではなく、記録用に開発された専用車の時代に入ってくるが、意外とスピードは伸びずに停滞気味となる。で、パッカード905が241.200km/hを出すのは1919年になってから。

結局のところ、当時の自動車用市販エンジンの改良では、もう大出力が得られないということになったのだ。で、飛行機用エンジンの流用が流行する。

ここで、記録挑戦男として有名なマルコム・キャンベルの記録更新ぶりを紹介しよう。彼のサンビーム号による最初の記録は、1922年の235.21km/h。エンジンは航空機用V12、1万8322㏄350馬力。

1925年に、同じサンビームの改良型をアメリカのデイトナビーチに持ち込んで、326.66km/hを記録する。

1927年になると、彼の挑戦車はブルーバード号を名乗り、エンジンはネピア型2万2299㏄450馬力で、279.8km/hを記録する。そして1928年には331.12km/hと記録更新。エンジンはシュナイダートロフィー機用の4気筒x3列で875馬力のネピア型。

1928年には、スーパーチャージャーで1450馬力になったシュナイダートロフィー用を搭載、348.50km/hを記録する。1931年には、その改良型で393.70km/h、1932年には406.35km/hへと、着々と上りつめていく。

が、それで満足するようなキャンベルではなかった。1933年の新ブルーバード号は、同じくシュナイダートロフィー用に開発された、ロールスロイスの3万6582㏄、V12気筒スーパーチャージャー仕様で2500馬力を搭載、記録は435.94km/hへとアップする。

ブルーバード号は更に改良を重ねて、1935年には481.80km/hへと記録更新するが、ここら辺りが内燃機関での記録作りの限界と判断したようだ。

1960年、世間を驚かせる大記録、644.96km/hを記録したブルーバード号の心臓は、ブリストルシドレーの、ジェットエンジンで5000馬力というモンスターであった。

キャンベルの貪欲は終止符を打つのだが、速度記録への飽くなきチャレンジは更に続く。もちろんジェットエンジンでだが、1963年には、ボンネビルで657.114km/h。1964年754.33km/hが出ると、後を追うように846.86km/hをマークする。

この辺で終わりかと思うと、1965年には921.42km/h。1970年、ついに1014.52と時速1000km/hの壁を打ち破るのである。で、気になるのは車の心臓だが、真打ちとばかりに登場したのがロケットだった。

もうこれで終わりかと思ったら更に続く。英国人アンディーグリーンがターボファンエンジンを搭載して、1223.65km/hを記録したのが1997年のことである。

Bell―Xシリーズ:本格的開発はWWII後で、1947年XS-1がマッハ1.45を記録。48年X-1登場。全長10.87m、自重3117kg、全備重量7469kg、ロケットx4推力2722kg。マッハ2.44を記録