【車屋四六】バンダービルトカップ

コラム・特集 車屋四六

前回、ゴードンベネットを紹介したが、そうなれば、もう一人忘れてはならないアメリカ人が居る。

コーネリアス・バンダービルト、アメリカの海運&鉄道王の大富豪。南北戦争後の復興事業で設立のバンダービルト大学は、現在テネシー州の名門校として知られている。

バンダービルトは自動車レースが大好き。20世紀初頭、ヨーロッパで、愛車のモース70馬力でレースを楽しんでいたが「こんなに面白いものはアメリカ人にも見せたい」と、ポンと出した大金でバンダービルトカップ・レースが始まった。

第一回のバンダービルトカップ開催は1904年のこと。ロングアイランドに世界の強豪が顔を揃えた。で、トップゴールはパナール90馬力、クレマンバヤール80馬力を押さえての優勝だった。

第二回は、ダラック80馬力で、パナール120馬力を押さえての優勝。いずれにしても、これでアメリカに本格的レースが始まったのである。

話変わってゴードンベネットは、自動車レースが一段落すると、飛行機レースを何度か開催した。その第一回はニューヨークでの100km周回レース。優勝は、ブレリオ100馬力で、タイムは1時間1分74秒というから、平均時速はほぼ100km/hということになる。

1909年に、ブレリオがカレーから飛び立ち、ドーバー海峡40km横断に成功するが、所要時間の32分は、ほぼ時速75km/h。いずれにしても、1910年前後なら、飛行機より自動車の方が速かったということになる。飛行機もレースをやれば、速度が上がるが、実質的に性能が向上するのは戦争、WWIによってである。

で、WWIで飛躍的に性能を上げた飛行機は、ニューヨーク~パリ間5809kmを無着陸で飛べるようになる。1927年、この世界初大西洋横断飛行は、ご存じのチャールス・リンドバーグだ。

リンドバーグが、睡魔に襲われながらの無着陸大西洋横断の所用時間は33時間29分だから、平均時速は約173km/hだが、こいつは長距離飛行という特殊条件の下での記録である。

でも短距離やレースともなれば、もう自動車など敵ではなかった。リンドバーグが、大西洋横断に成功した1927年にベニスで開催の、シュナイダートロフィー優勝のイギリスのスーパーマリンS5の記録は453.28km/h。ネピアライオンⅦ型900馬力を搭載。

スーパーマリンS5:1927年第10回シュナイダー杯優勝。英空軍所属。エンジンの幅で機体幅が決まるほど空力優先。小さな主翼は長い滑走が必要なので水上機全盛。三列エンジンのナセル形状に注意

ちなみに、12回開催されたシュナイダートロフィーの成績を並べて、飛躍的に上昇する飛行速度を検証してみよう。(開催年、開催地、優勝者名/国籍、飛行機/エンジン、速度)

第一回:1913年(Monaco)
Mourice Prevost/仏 ドペルデュサン/グノーム160馬力 73.63km/h

第二回:1914年(Monaco)
Howard Pixton/英 ソッピース/グノーム100馬力 139.66km/h

第三回:1919年(Bounemouth)
Guido Jancllo/伊 サボイアS13/イソタフラスキーニ250馬力 176.66km/h

第四回:1920年(Venice伊)
Luigi Bologna/伊 サボイアS12/アンサルド550馬力 172.55km/h

第五回:1921年(Venice伊)
Giovanni di Brigante/伊 マッキM7/イソタフラスキーニ250馬力 189.74km/h

第六回:1922年(Naples伊)
Henri Biard/英 スーパーマリン・シーライオンII/ネピアライオン450馬力 234.48km/h

第七回:1923年(Cowes米)
David Rittenhouse/米 カーチスCR-3/カーチスD-12 465馬力 285.68km/h

第八回:1925年(Bartimore米)
James Doolittle/米 カーチスR3C-2/カーチスV-1400 600馬力 374.28km/h

第九回:1926年(Hamptonroad英)
Mario de Bernardi/伊マッキM-39/フィアットAS-2 882馬力 396.70km/h

第十回:1927年(Venies伊)
S.N.Webster/英 スーパーマリンS5/ネピアライオンVIIA 900馬力 453.28km/h

第十一回:1929年(Calshot英)
H.R.Waghorn/英 スーパーマリンS6/ロールスロイス-R 1900馬力 528.87km/h

第十二回:1931年(Calshot英)
J.N.Boothman/英 スーパーマリンS6B/ロールスロイス-R 2350馬力 547.31km/h

(読み違えを避けるため一部英語本から引用)

第八回シュナイダートロフィーの優賞者は、日本にとっては嫌な奴。第12話で紹介の、日本初空襲を発案、実行した指揮官、ジェームス・ハロルド・ドーリトル中佐だから。彼(1896~1993)はカリフォルニア大バークレー校卒、マサチューセッツ工科大卒、工学博士。陸軍航空隊入隊。25年シュナイダー杯優賞、31年ベンディックス杯優賞、トンプソン杯優賞など、超優秀パイロット。WWⅡ中は英国での第八航空軍団司令官で中将だった。

さて、ドーリトルの機体もそうだが、飛行機は早くなるにつれ水上機に移行する。原因は、飛び立つのに長い滑走路が必要になり、加速のために水上なら幾らでも滑走できるからだった。当時は未だフラップが開発されていなかったのである。

さて、1927年、リンドバーグの大西洋横断飛行時間は33時間29分。それから42年後の1969年、大西洋横断デイリーメイル杯で、ニューヨーク~ロンドンまで、マクドネルダグラスF4Kの飛行時間は、何と4時間36分、多少距離は短いが、大変な進歩を改めて感じるものである。

ネピア・ライオン:直四を三列に並べたW型12気筒、2万4000㏄、シュナイダートロフィー用は900馬力。レース用は後に1400馬力まで改良される。英国が誇る傑作エンジンの一つ