【車屋四六】30分で帰れば10万フラン

コラム・特集 車屋四六

ガソリン機関で飛行船を飛ばした世界初はダイムラーだが、船体の製作者はベルフェルト博士である。この先生、優秀な科学者だったが、かなりな呑気者だったようで、後日、飛行中の飛行船で、排気ガスのキャビン充満で死んでしまった。

飛行船となれば、パリの伊達男サントス・デュモンを忘れてはいけない。1898年に最初の飛行船を造ってから、矢継ぎ早に12隻を造ったのだから、生半可な金持ちではない。その中で特に有名なのが6号機。全長33メートル、容積622立方メートルに15馬力エンジンを搭載した飛行船である。

その頃、離陸して、飛行場から11.3キロ離れたエッフェル塔を折り返し、30分以内に帰ったら10万フランという懸賞金が懸かっていた。デュモンは6号機で挑戦、見事10万フランを頂戴したが「名誉は戴くが金はいらない」と、懸賞金はパリ市にポンと寄付して、さらに男を上げたのである。ブラジルのコーヒー王の息子なればこそ、惜しいことをするものと思うのは我々俗人である。

飛行船と云えば、ツェッペリン伯爵を忘れてはならない。彼は科学的に飛行船理論を組み立てた。1立方メートルで生まれる浮揚力は、僅か1キログラムだから、実用的飛行船を造るとなるとバカでかくなる。風船流の軟式飛行船では無理だから、骨組みを持つ硬式飛行船で大型化が可能になる、と決定、建造した。

が、此処まで到達するには、多くの先駆者が居たことも忘れてはならない。1784年ムスニエが流線型の気球を製造。1785年ブランシャールが気球に舵を。1786年ブランシャールはドーバーからカレーへ、世界初の海峡横断飛行に成功する。

1852年、ジファールが3馬力の蒸気機関を気球に装備、時速10キロで飛行したのが飛行船の始まりで、方向をコントロールしながら飛行した世界初となる。いずれにしても、気球から飛行船へと大きく飛躍させた三人は、全てフランス人だった。

1872年になると、ヘンラインが、水冷直四3.6馬力のルノアール石炭ガスエンジンの飛行船で飛行に成功。1883年には、ティサンディエ兄弟の飛行船が、1.5馬力の電気モーターで飛行に成功したが、あまり調子の良い飛行ではなかったという。

いずれにしても、これまでは実験的飛行船だが、1884年でようやく実用的な1機が飛行に成功する。ルナールとクレーブスのフランス号。全長50メートル、1864立方メートルのフランス号は8馬力の電気モーターで、時速20キロの飛行に成功する。

1884年・世界初の実用的飛行船ラ・フランス号:全長50m、時速20km/h。8馬力電気モーター

その後、飛行船は実用化に向けて急速に発展を続けて、デュモンやツェッペリンの登場となるのだが、それまでに100年以上の努力があったことを忘れてはならない。いずれにしても、内燃機関の発明で、飛行船が実用化し、自動車が発達、そして20世紀の大発明、飛行機へと連鎖反応的に発展を続けることになる。

さて、20世紀に大発展を遂げた自動車だが、本当に個性があったのは1930年代迄だろう。今では工場の入り口から材料を入れ、スイッチをポンで出口からゾロゾロと完成車が出てくる。そんな自動車には、味も素っ気もなくなった。

日本では、年代を経た自動車を「クラシックカー」と一括りで片づけてしまうが、自動車に長い歴史の欧米では、30年頃までを一区切りにして、1904年までをベテランと呼び、05~18年までをエドワーディアン。19~30年までをビンテイジと区別している。

ちなみに、エドワーディアンとは、自動車をこよなく愛したイギリス国王にちなんだもの。ビンテイジが始まる1919年は、第一次世界大戦が終わり、欧州に平和が戻った年である。

だから、クラシックとは古けりゃ良いというものではない。が、日本では、私が若年の頃はWWII以前がクラシックだったが、今では50年代、60年代でもクラシックの仲間入りを認められているようだ。だから、自分の愛用車は乗らなくても大切に保存しておくのも良い手かもしれない。30~40年もすればクラシックになって値上がりするからだ。

1960年頃まで、古い車をクズ屋に売り払うと1台5000円だった。5000円で売った私の愛車、ランチェスターやライレー2.5、キャデラック75、ローバー65、クライスラー、ジャガーMK-VII等々、クズ屋に売らなかったら、楽に1000万円は越えていただろう。

ガソリンエンジンで走ったバイクの世界初は、ダイムラーだということは既にご存じの筈。その後、続々とバイクが登場するが「玩具にはいいが実用にならない」というのが大半で、1890年代の実用的バイクメーカーは、ミュンヘンのヒルデブランド&ウオルフミューラー(H&W)、コベントリーのホールデン、パリのワーナーなどが知られた存在だった。

昭和20年代、しばしば有楽町に出かけた。新聞社巡りだ。目的はバイク見物。朝日、読売、毎日の表には、ハーレイダビッドソン、インディアン、BSA、ノートンなどがずらっと並んでいた。中学生には、タダで見られるオートショーだった。

新聞社の旗をなびかせて走るオートバイは格好良かったが、FAXやネット、携帯もない時代、報道機関のバイクは、ニュースを運ぶ最速の手段だったのだ。そんな目的でバイクを買い入れた世界初の報道機関は、世界初の自動車レースを開催したパリのプチジャーナル社で、1895年にH&Wを大量に買い付けた。

街を走る新聞社のバイクは、格好の宣伝カーとなり、バイクが実用になることを世間に認めさせた。が、このH&Wのバイクは“瓢箪から駒”的に生まれた。というのも、H&Wのエンジン開発は、リリエンタールの発注によるものだったのだ。

で、H&W社の航空用エンジンは完成したが、機体がないから飛行実験が出来ない。そこでバイクを造り走ってみたら、こいつが調子良い。欲しいという人に売ると、口コミで注文が増えて、日産10台にもなってしまった。(写真トップ:H&Wバイクは1894に年登場、2気筒2サイクル。時速38.6km/h。後輪をコンロッドで直接駆動するので振動が激しく8km/h以下では走れなかった。直ぐにドディオン製に換装しフランスでも生産。)

となるとバイク造りが面白くなって、リリエンタールの航空エンジンなんか、そっちのけで商売繁盛。可哀想なのはリリエンタール。何時まで待ってもエンジンが来ない。で、自棄のヤンパチでもなかろうが、グライダーで飛行実験を繰り返すうちに墜落死した。もし、エンジンが届いていれば、世界初飛行はリリエンタールだったかもしれない。後の専門家が集めた資料、機体の構造、飛行理論は、ライトの上を行っていたという。

それはそれとして、H&Wは、世界で始めて生産ラインで量産されたバイクで、評判も良く、各国でライセンス生産された。その中の一社、イギリスのトライアンフ社では、3年間で1000台も売る好調さだった。

1842年ヘンスン考案の飛行機。当時の実用的動力である蒸気機関で飛ぼうとするが勿論飛行せず。とにかく空を飛ぼうという願望と努力は長い間続いていたのだ

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