【車屋四六】オートバイ誕生物語

コラム・特集 車屋四六

オートバイ=内燃機関で走るバイクの世界初がダイムラーとは既にご存じ。その前に、現物無しで特許を取ったチャッカリ者はイギリスのバトラーさん。が、バイクというだけなら、その歴史は気球の歴史ほどにさかのぼる。

その一号は、イギリス人のマードック。ワットの蒸気機関車が走ったのは1784年だが、ワットの友達マードックは蒸気機関の三輪バイクを完成した。で、後に続けとばかりに続々と蒸気バイク登場となるが、実用になり、特許も増えてくるのは19世紀に入ってからということになる。

さて、現存する最古のものは、スミソニアン博物館が所有するSHローパーとフランスのミショーペリリューの二台だそうだ。ミショーは、サドル下のコンパクトな蒸気機関で後輪をベルトドライブする。が、前輪には足踏みペダルが付いている。

一方、ローパーの方はペダルはなく、ピストンのコンロッドが直接後輪を駆動する仕掛けだそうだ。どちらかというと、アメリカの方が近代的に見えるが、どちらも時代は19世紀末のようだ。

1885年、フィラデルフィアのコープランドが、前輪の2.5倍もある子供の背丈ほどの後輪を、蒸気機関でベルトドライブする自転車を売り出した。乗る姿はサーカスのようだが、5年間で200台も売れたそうで、これが世界初量産バイクである。

イギリスにも多くのバイクが登場するが、本格的なのは1881年のパーキンス。パーキンスは、1904年になると、前輪に緩衝装置が付いたフランスのダリフォルの製造も始める。1940年にダリフォルがニューヘブン郵便局で発見されたが、速達の配達に使ったのだろうという話である。

バイクの話が続いたが、自動車、バス、船舶、産業用に多種の動力機関が登場しても、19世紀は、やはり蒸気機関の時代だった。1858年のこと、フランス人ユーゴンが、ガス爆発2サイクルエンジンの特許を取った。

ダイムラーの前におかしいじゃないかと思うだろうが、こいつは石炭ガスが燃料だから原則移動不能。ユーゴンはパリのガス会社の技術屋だから、ガスの消費量を増やすための開発だったのだろう。

でも、6年間で、130台も売れたというのだから、会社から金一封ぐらいは、貰ったかもしれない。日本のガス会社が、しつこく湯沸かし器や暖房機、飯炊き機などのセールスに励み、近頃ではガス発電機まで売ろうとしているのと、発想は同じことだろう。

1862年、フランス人ロハスが、4サイクルの特許を得る。こうして世紀の発明、内燃機関登場の環境が整っていく。一方、1890年ドイツ人ショーンラインが石炭ガスの液化に成功する。

そうこうするうちに1885年の大発明が人類に大きな恩恵を与えることになる。もちろんダイムラーの内燃機関で、たった264㏄単気筒、4ストローク、800回転しか回らないエンジンが、20世紀を革命的に進歩発展させることになるのである。

ダイムラーは木製バイクを2台造ったが、1台は1度だけ走り、もう1台はマイバッハが試乗の後ベンツに渡ったが、不幸にも1903年火事で焼失。で、今あるのは全てレプリカである。

ダイムラーとほぼ同時期にベンツがガソリン機関を開発するが、どれも回転するクランクシャフトから動力を取り出すオーソドックス型だが、クランクシャフトを固定して、ブン回るシリンダーから動力を取り出すという変わり種もある。

10人もの子だくさん、スキ者?フランス人ミレーが、空冷五気筒星形の回転エンジンを開発した。こいつはバッテリー+イグニションコイル点火という進歩的マシーン。それを自転車の後輪に直接組み込み、後輪とエンジンが一緒に回るバイクを開発した。ミレーのロータリーエンジンバイクは高性能だが、操縦が難しい。が、ミレーは運動神経のほうも一流で、上手に乗りこなしたという。

いずれにしても、手頃な動力の誕生で、バイクや自動車が急速な発展期に入ると、お定まりの競争が始まる。バイク最初の競争は、1894年のパリ~ボルドー間往復レースで、ミレーが好成績を残す。が、1995年のレースでパリを出発。オレルアンに向けて快調に飛ばしていたが、ちょっとした弾みで、掘り割りに落ちて、そのまま昇天、85才だったそうだ。

これで、世紀の発明ロータリーエンジンも終わりかと思ったら、20世紀に入って大発展をする。このシリンダーがブン回る変なエンジンを喜んで迎えたのは、空だった。

飛行機の誕生と共に、発展成長して、第一次世界大戦の空中戦では、ドイツ、フランス、イギリス、全軍で愛用したから、多数のメーカーが生まれた。中でも有名なのはフランスのルローンやグノーム、またドイツのオーベルウルゼル、イギリスの博物館で見つけたアンザーニなどが、ロータリーエンジン兄弟だ。日本にも、機体に組み込まれて輸入されている。

最近はジェット機ばかりだから、知らない人もいるだろうが、WWII中の飛行機では、エンジンをカウルと呼ぶ部品がカバーしていた。空気を整流して冷却を助け、空気抵抗を減らす部品だが、発明当初の目的は違っていた。

ロータリーエンジン機で空中戦をやっていると前が見えなくなる、それを防ぐために生まれた部品だった。何しろシリンダーが回るのだからオイルを撒き散らし、それが風防に飛んでくる。風防がなければ操縦士の顔が油だらけ、いずれにしても前方が見えない。

こいつはたまらんと云うことで生まれたから、初めは上半分だけを覆うカウルだったのである。

エンジンのカウル:機体はモーリスファルマン1913年型でグノーム(仏)70馬力。ペラと一緒にシリンダーも回転、操縦士の顔に油が飛ぶのを防ぐ目的で生まれた上半分のカバー