【車屋四六】世界初という勲章物語

コラム・特集 車屋四六

本連載はCar&レジャー新聞に20年間掲載中の昔話2000余本のリメイク版だが、昔カービート誌(廃刊)に1980年頃連載の”タイムトラベル・エンジン(TTE)”のリメイク版を紹介するので、暫くお付き合いの程を。

私は昭和8年生まれ、第二次世界大戦中は国民学校生徒(小学生)で、将来の夢は戦闘機乗りだった。が、思わぬ敗戦で夢破れたが、GHQ(連合軍最高司令部)が禁止の航空産業が予想外に早く解禁になり、大学では航空部でグライダーの訓練、やがて飛行機もということで、一応子供の頃の夢は叶った。
で、知識をひけらかすわけではないが、自動車関連のライターなのに、空に脱線することが多い。私の独断偏見で、自動車好きなら飛行機やカメラ時計も好きと勝手に決めているので脱線御容赦。

原始、猿は飛ぶ鳥を眺めて「俺も飛びたい」と思ったに違いない。人は猿より利口だから、思うだけではなく、何とか飛ぼうと努力の開始は、かなりな昔になるだろう。が、空はさておき、先ず地面で速く走ろうと馬に乗ることを憶え、馬車を発明、舟も発明した。

そんな時代が何千年も続いた後、人類は画期的パワーを得た。17世紀誕生の蒸気機関で蒸気船が登場、蒸気機関車が生まれ、機械文明が急テンポに進む。19世紀は蒸気機関急成長の世紀だった。が、19世紀末には内燃機関が登場する。

ガソリン機関が世界で始めて回ったのは1883年。開発者ゴットリーブ・ダイムラーは、取り敢えず木製オートバイを造り、走らせることにも成功したのが1885年だった。

オートバイも分類は自動車だが、ちゃんとした自動車の世界初走行は、カール・ベンツだ。ベンツの内燃機関成功は、ダイムラーに遅れること数ヶ月。近距離に住む偉大な技術屋同士なのに交流がなかったというのだから、神様は何を考えているのだろうか。

ベンツの三輪車は四サイクル単気筒0.8馬力/250回転で走りに成功したのだが、厳密に云えば、ガソリン機関も自動車も、世界初は誰かと云うことになれば、ダイムラーということになる。

二人は、天才技術者ではあるが、性格的にはかなり異なる。ベンツは技術者だが優れた商才も持ち合わせ、自動車走行に成功すると特許を取り、自動車での利益確保に備えた。

一方、ダイムラーの方は未知の探求心旺盛で、85年にバイクで成功すると、86年にはスクリュー船でネッカー河を走り、88年には飛行船を飛ばす、というように片っ端からチャレンジを続けて、どれも成功しているのだから大した技術者である。

スポーツの世界では、優勝こそに意義があり、二、三位は十把一絡げ(じゅっぱひとからげ)、四位以下ではメダルもくれない。科学の世界でも、後世に名が残るのは世界初をモノにした人優先。が、二人の会社は、後に合併でダイムラーベンツになるのだから、世界初の栄誉は、ダイムラーとベンツで良かろうと思う。

世界初、世界第一号は貴重な勲章だと思うが、この勲章には多大な努力と共に、運の良さも必要だ。たった一日の差で、名誉が手からこぼれて向こう岸に行ってしまうこともあるから。

20世紀に入ると直ぐにディーゼルも登場するが、ガソリン機関の世界初をこの辺りで整理してみよう。自動車、飛行船、船舶と三個もの勲章に輝くダイムラーは大したもの。一方、航空機用世界初はロシアのコストビッチで1887年。水冷8気筒で80馬力だが、まだ飛行機誕生前だから、飛行船用である。

飛行船が出てくれば当然飛行機だが、飛行機の世界初飛行はご存じライト兄弟だが、既に出力の大きなエンジンが有ったればこその成功である。ライト兄弟がもう20年も早く生まれていれば、平凡な自転車屋で終わっていたかもしれない。

もし、15世紀にエンジンが有ったら、ヘリコプターや自動車の設計図が残るレオナルド・ダビンチが、世界初の勲章を二個手にしていただろう。1894年ロシアのモジャイスキーの初飛行は不成功。当時の最良パワーは蒸気タービンで、煙突からいくら煙を吐いても離陸しなかった。が、後世の専門家が図面をチェックしたら「この飛行機は飛びます」と太鼓判を押したそうだ。

ライト兄弟は飛行予備実験として、先ずグライダーを飛ばして、構造と飛行術を学習し、1903年にエンジンで空を飛び世界初飛行。1910年頃、実用機のベストセラーを製造販売していたフランスのヴォアザン兄弟は、ライトより早く1899年に滑空に成功しており、取り巻く環境や実力ではヴォアザンの方がライトより上だったから、世界初はヴォアザンの方が有力候補だった。が、運の神様は、当時フランスを離れアメリカを旅行中だったのだろう。

18機ものグライダーを造り、科学的に飛行理論を確立していたドイツのリリエンタールが、墜落死亡していなければ、彼の実力からも飛行世界初の勲章は彼のものだったろう。やはり、運の神様はドイツにも居なかったのだ。

リリエンタールのグライダー:まず理論の確立を目指しグライダーを7機。飛行実験を繰返し”鳥の羽”理論をまとめ円弧翼に終着。その英訳をライトが入手、参考にしている

いずれにしても、19世紀末に登場したガソリン機関は、自動車と飛行機という良き伴侶を得て発展するのだが「戦争で高性能化したエンジン技術は自動車用にフィードバックされ・今度はレースで鍛えられ・その技術が飛行機用に生かされて」とまことしやかに語る専門家が居るが間違いだと思う。一部で、多少の交流はあるが、飛行機屋は飛行機で、自動車屋は自動車で、それぞれが夢中で技術を研ぎ澄まして発展を続けたのである。

ライトのグライダー:兄弟は理論優先、風洞実験データを実機に生かし多くのグライダーを製作。先ず安定機体の完成と操縦技術の確立。その後に動力を装備という用意周到な計画だった