【車屋四六】マカオ総督のプリンセス

車屋四六 コラム

小生、車など買えない中学生の頃から車が好きだった。夢中になった切っ掛けは、日本が戦争に負けたら、占領にやってきた敵軍が小さなオープンカーに乗っていて、それが実に格好良く見えたのである。

小さな車がジープと呼ぶことは直ぐに判ったが、暫くすると、米軍将校や軍属、その家族が使うために乗用車が持ち込まれるようになった。中古車もあったが、戦後生まれの新車はピカピカとメッキが光り、カラフルで、それは豪華に見えたものだった。戦後の我々が乗る車のほうは、薄汚れたドブ鼠のようだった。

その頃は、コッペパンを一つ貰ったら「こんなに美味いものがこの世にあったんだァ」と、感激するほど日本中が貧しい頃だから、我々が自転車に乗るように、気軽に乗用車を乗り回す戦勝国の連中は、別世界に住む人達だったのである。

戦争前から私が住んでいる麻布は、そんな進駐軍達の巣窟みたいな所だった。歩いて三分の狸穴坂(まみあなざか)の上にはソ連大使館があり、その向かいの元貯金局はソ連兵の宿舎だった。

いま東京ミッドタウンと呼んでいる所は、元防衛庁。が、終戦直後からは、米第八騎兵師団とPXがあり、その対面の道路を突き当たった龍土町(りゅうどちょう)には米軍憲兵司令部が、更に奥の崖下には、軍用新聞のスターズ&ストライプ紙が居た。

ちなみに、憲兵隊司令部は返還後に東大生産研究所になり、いまでは国立新美術館。新聞の方は未だ健在で、日に一回、座間か入間か知らないが、連絡用大型ヘリコプターが飛んでくる。第八騎兵師団の所は、明治から終戦までは大日本帝国陸軍第三歩兵連隊で、江戸時代は大名屋敷である。

麻布界隈も昭和30年頃までは、米兵ばかりではなく、イギリス兵、オーストラリア兵、ニュージーランド兵なども見かけた。時にはターバンを巻いたグルカ兵とおぼしき兵隊も居た。

また、進駐軍の将官や高級将校、要人達は、昔から高級住宅街として知られる、麻布の立派な屋敷を片っ端から接収して私邸にした。そんなトバッチリで、我が家の前に越してきた川崎家の奥さんは、家が一軒買えるほどの床柱を「ペンキで真っ白に塗ってしまって」と嘆いていた。

麻布界隈は各国軍の巣窟だったから車の種類も種々雑多で、主流は米車だが、ソ連製リムジンではZIMかZIS、小型のポペダやモスコビッチ。オーストラリア軍はホールデンだが、イギリス軍は乗用車の一大生産国らしく、アメリカ軍に次いで色とりどりだった。が、不思議なことに、ロールスロイスやベントレーがなく、司令官用リムジンはオースチン125シアーラインで、高級将校はハンバースナイプだった。

後ろから見たA125プリンセス。観音開きドア、手前に開くトランクは古典的スタイル。運転手も高級車の定番的姿。護衛警官二台の白バイはホンダ製

それ以外の英車というと、ハンバーホーク、スタンダードバンガード、ライレイ、オースチン、ヒルマン、トライアンフなどを見かけた。またアメリカ人達が乗る私用のスポーツカーは、MG、トライアンフ、シンガー、ジャガーなど、どれも英国製だった。

長い年月が過ぎて、日本にバブルが膨らんでいる頃、景気の良い自動車メーカーは、趣向を凝らしたイベントを沢山やった。

三菱自動車は、煙草のマールボロと組んで、マカオグランプリの冠スポンサーになり、ジャッキーチェンが香港で三菱自動車販売を手がけていたことも縁だったのだろう、ジャッキーチェン・トロフィーと名付けたレースを主催していた。

で、毎年11月末になると、招待されて見物に出かけた。いまでは両方共に無くなったが、貧民窟で怖いところと教えられた九龍城(クーロン城)すれすれに低空進入で、世界で一番小さくて定期便の機長泣かせと云われた旧香港空港に着陸。迎えのバスで対岸の香港島に渡る。初めはフェリーだったのが、次の年には海底トンネル完成で、バスに乗ったまま島に渡れた。

香港で、ボーイング製ジェットエンジンの水中翼船に乗れば、1時間足らずでポルトガル領のマカオだ。マカオの収入源は観光、そして賭博。たくさんの賭博場が公認で、博打がめっぽう好きな中国人が、香港、中国、台湾からやってくる。

フェリーが香港の乗り場を離れれば、公海上とばかりに、直ぐに女の子が現金が当たる籤(くじ)を売り始める。GPの期間中でさえ、乗客の半分は、車より博打という感じである。

なぜ気が付かなかったのか、或る年のGP決勝の当日、ピカピカに磨き上げられたプリンセスが停まっているのを発見した。正確には「オースチン135プリンセス」である。

いかにもクラシックという容姿のプリンセスは、マカオでは重要行事のグランプリへ出席のために、マカオ総督が乗ってきた公用車だった。制服制帽の運転手が脇で待っていた。護衛の白バイ二台は、ホンダ製だったのが、嬉しかった。

後ろから見たA125プリンセス。観音開きドア、手前に開くトランクは古典的スタイル。運転手も高級車の定番的姿。護衛警官二台の白バイはホンダ製

オースチンというと、日本では大衆車的小型車を連想する。当時の若者ならミニだし、50年代を知るオジンなら、日産でもノックダウンしたA40、小柄なA30、そしてスポーツカーのA90アトランティックを知っているなら、貴方は通ということになる。

が、オースチンは大型車メーカーでもあり、それも超高級車メーカーだったのである。オースチンの大型高級車には、A135の他に、A125シアーラインがあって、特徴のある馬鹿でかいA125の反射鏡が銀メッキのヘッドランプが照らす光芒は、ゴージャスで独特な雰囲気を撒き散らしていた。

プリンセスは、著名コーチビルダーのバンデンプラス製ボディーがアルミ製で、車重が1.6トンと思いのほか軽量、全長5.5メートルの大きな体に似合わず、走りの身軽さに感心した憶えがある。

50年代では斬新なOHVのストレートシックスは3992㏄、87×110㎜のボアストローク比は英国高級車定番のロングストロークで圧縮比6.8、SUキャブレター三連装で130馬力。もちろん後輪駆動で、タイヤはロールスロイス級と同サイズの650-16-4p。車格もロールスロイスや英王室御用達ダイムラーに匹敵する高級車である。

総督のプリンセスは、多分54年製のⅢ型と思われる。当時のカタログに載る三種類のうち、こいつが最も美しい。3029㎜のロングホイールベース・リムジンと書いてある。

黒の革張り運転席とモケット張りの後席との間は厚いガラスで仕切られ、インテリアのトリムの磨き上げられたウオルナットの艶は見事なものだった。ヘッドランプは三本スポークで反射鏡を支える伝統のタイプで、ドライビングランプと共にルーカス社製。

プリンセスがカタログから消えたのは、59年。記憶によれば終戦直後から、英国大使館にあったはず。また英軍司令官は、同じ姿だが、馬鹿でかい磨りガラスのヘッドランプを持つ、戦時色塗装のA125シアーラインだったが、50年代にロールスロイスを買う前の三船敏郎が黒いのを運転している姿を見かけたこともある。

私が初めてヨーロッパに行ったのは66年だが、官庁街やシティーでA135やA125の走るのをたくさん見た。エリザベス女王が公用車をロールスロイスに替えるまでは、英王室御用達はダイムラー、金持ちがロールスロイス、高級役人がA135やA125と、相場が決まっていたのだという。

66年当時、高級役人らしき車の運転手のほとんどが、逞しいオバサンだった。

「戦争中男が不足して女が狩り出されたのが戦後もそのままやってるんだ、当時はどれも可愛い娘達だったんだよ」と教えてくれたロンドンの知人が、プリンセスを借りてきた。

意外に取り回しが良く、印象的に静かな車だった。

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