【車屋四六】三菱のコルトは縁起の良い名前

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世界のアイドル、マリリン・モンローが死んだ1962年の8月12日、海上保安庁が消息不明船の全国手配をした。5月12日に出港したままの、マーメイド号。僅か6mの極小ヨットだった。

乗船者は、数ヶ月後には世界を驚かせることになる、堀江謙一(23才)だった。ルール通り、出港の届けを出せば拒否される。ならば黙って。言うなれば、不法出国。意を決した内心不安の出港だった。

それから93日が経った9月12日、ヨットは、サンフランシスコ湾に居た。

「日本から来た。パスポート持ってない」湾内を帆走する大型ヨットに向かって、堀江は怒鳴った。

大型ヨットからの無線で、沿岸警備隊の高速艇がマーメイドに近づいてきた。不法入国、いよいよ逮捕されるのか?でも、世界で初めての太平洋単独横断に成功、思いは遂げたのだから、と覚悟した。

が、そんな覚悟とは裏腹に、近づいてきた警備艇の隊員は拍手をしていた。
警備艇に先導されて着いた港は大騒ぎ。密入国者どころか、その時から堀江は、世界の堀江に、そして英雄になった。

が、歓びとは裏腹に、不安がつのる。日本では密出国者、帰国すれば恐い役人が待っているだろう、と。

案の定、大阪地検は、出入国管理令違反の罪で調査を始めていた。が、頑固な日本のオカミにも情けは残っていたようで、結果は起訴猶予処分となった。

私も、はばかりながら、かつては船乗りでだった(小型船舶操縦士一級免許)。その頃、横須賀のキャンプに、アメリカ人のヨットマン仲間が居た。

「パスポートなんか必要ないヨ・帆船はそんな制度が出来る前からあったのだから」

そんな船乗りのしきたりを、堀江は知らなかったのだろうと云っていた。

さて、08年、リーマンショックで、世界は100年に一度と云われる恐慌状態。自動車業界もご多分に漏れず同じ状況。かつて、GMが倒れる時はアメリカの終わり、と云われたGMが、いま倒産寸前。天下のトヨタでさえ、半世紀ぶりの赤字決算。軒並み苦しんでいる中、三菱も苦しんでいる。が、三菱は、21世紀に入った頃も、車の性能には関係のないことで評判を落とし、苦境に立っていた。

“人の噂も七五日”は日本人の特質、というわけで苦境は何とか乗り切るが、その切っ掛けが、eKワゴンの思わぬヒットだった。そして縁起の良いコルトが甦り、こいつがまた人気街道を走り始めることになる。

コルトの甦りと云ったが、そもそも初代のコルト600は、堀江が英雄となった62年に誕生した車だった。

コルトは、往年の通産省国民車構想に沿って開発された三菱500が、無骨な姿、質素な内装、しかも排気量が大きなパブリカより値が高い、などで受けた不評を跳ね返すために、大フェイスリフトで誕生した車だった。

そもそも三菱500は、敗戦で軍需がゼロになった三菱が、乗用車造りへの足がかりを掴む最初の作品だった。三菱は、短期開発と最新技術の学習を目的に、参考にしたモデルがあった。ドイツで量産され、評判の良い軽自動車「ゴッゴモービルT400」だった。手本のゴッゴモービルはリアエンジン後輪駆動だったから、誕生した三菱500、そしてコルト600も、リアエンジン後輪駆動という形式を踏襲していた。

日本の国民車を目指して開発された三菱500

三菱500から、スタイリッシュな変身を遂げた初代コルト600は、大成功とまではいかなかったが、コルト1000へと進化しながら、三菱自動車の乗用車部門の基礎を築いていったのである。三菱にとって、コルトというネーミングは、当時、縁起の良い名前のような気がした。

600は、500とは別の車に見えるほどに、姿がモダンになり、装備内容も向上していた。鼻先が伸びたせいで、前部にトランクも確保できた。3MTのシフトレバーは、古臭いフロアシフトから斬新なコラムシフトへ進化し、スタイル、装備全てが、当時日本人が憧れたアメリカンスタイルになった。

コルト600の諸元を紹介しておこう。

全長3385mm、全幅1410mm。車重555㎏。493ccから594ccに拡大されたエンジンは、強制空冷OHV二気筒のまま、21馬力から25馬力にパワーアップしていた。エンジン出力の向上にともない、最高速度も90km/hから98km/hに上昇したが、値段も39万円から42.9万円とアップしたのは致し方ないことだった。

写真は新コルトの報道関係試乗会が、山中湖近辺で開催された時に撮った、初代コルトとのツーショット。初代は今見てもなかなかスマートだ。初代はノーズが浮き上がったように見えるが、ノーズの燃料タンクにガソリンを入れ、人が乗るとノーズが下がる。結構乗り心地が良かった。

当時の三菱は、600誕生の62年に、軽自動車市場にミニカで参入した。63年には、4ドアセダンのコルト1000で、いよいよ本格的登録車市場に。65年には、ファストバックの姿がスポーティーな800を誕生させる。

その後、三菱のコルトは日本市場で認められて成長を続け、発展して、69年にバトンタッチしたのが、コルトギャランだった。が、70年になると、聞き慣れたコルトの名前が消えて、ギャランのみとなる。

初代コルト600

 

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