【車屋四六】アイデア満載の意欲作~三菱ミラージュ~

コラム・特集 車屋四六

東京国際空港が羽田から成田に移った頃、日本中がインベーダーゲームに夢中だった。

その頃、日本の乗用車保有台数は2000万台の大台に乗り、自動車輸入関税が遂にゼロになった。そんな事があった1978年に、三菱からミラージュが誕生した。

ミラージュは専門家も注目するほど斬新な車で、デビューと同時に、三菱はミラージュを販売する新販売チャネルとして、カープラザ店系列を発足させたくらいだから、開発に力が入っていたのも当然だった。そのために、注目を引く目新しい技術をたっぷりと盛り込んでいたのである。

その開発は、当時三菱技術陣の中では知恵袋のような存在だった、木住南恵一の担当だった。

当時、日本市場では、既にFFは珍しい存在ではなかった。が、長年頑固にFRだったトヨタも、ターセル・コルサの初のFF化で話題になった頃だから、新しい三菱のFFも注目されておかしくなかったのだ。

その頃、車のエクステリアというものは凹凸で変化を付けていたのに、ミラージュはノッペリした平面の構成で、私は飛行機を連想したものだった。

注目したのは、FFならではのフラットに近い床面のレイアウト。こいつが広い居住空間を生みだしていて、全長3970ミリ、全幅1585ミリとは思えぬほどのキャビン空間を稼いでいたのである。

2種類のエンジンを選ぶことが出来た。オリオンと呼ぶ1.4Lと、53年排気ガス規制をクリアしたMCA-JET方式で燃料供給される1.2Lである。

三菱自慢の排ガス規制対策システムの、MCA-JETによる直列四気筒SOHCは、B69.5xS82mmで1244cc、圧縮比9、72ps/5500rpm、10.7kg-m/3000rpm。

片や、オリオンシリーズの直列四気筒SOHCエンジンは、B74xS82mm、1410cc、圧縮比9、82ps/5300rpm、12.1kg-m/3500rpmという性能である。

ミラージュの車高は1350ミリと低かったが、低い床と上手な空間処理で予想外な居住空間を稼ぎだし、上手なモノコック構造で車重が800㎏と軽量にまとめられていた。

サスペンションは、前輪ストラット、後輪トレーリングアーム。ブレーキは前輪ディスク、後輪ドラム(ブースター付)。タイヤ155SR13で統一されていた。

等長ドライブシャフトだからトルクステアが出ないと力説し、スーパーシフトと呼ぶ独特なマニュアル変速システムを自慢した。コクピットの写真を見れば一目瞭然、変速レバーが二本並んであるのが判ると思う。シフトレバーの長い方は、四速H型にプラス右下がRという標準的なものである。右側の短い方は、パワーとエコノミーを切り替える副変速機の切り替え用だ。

要するに、スポーティードライブとエコノミードライブをあらかじめセットしてから、あとは普通の四速シフトで運転という、云われてみればコロンブスの卵、至って単純な仕掛けで、セットの手間が増えるだけで、あとは普通に扱えばよろしいという。

が、面倒を気にしなければ、八速型変速機的な使い方も出来た。また、一段落としたら力不足、上げたら力不足というやつは、三~四段ギア変速機では良くあることだが、そんな時に中間を選ぶこともできる便利な仕掛けである。

登場した時点では、2ドアハッチバックだけだったが、半年ほど経つと4ドアハッチバックが追加された。ホイールベースが80ミリも伸びた姿が間の抜けたダックスフンドみたいな姿をしていたが、あきれるほど後席が広いのに感心したことを憶えている。

いずれにしても、これまでにない見慣れぬスタイリング、いうなれば変な車、こいつ売れるかな?と心配することはなかった。市場の人気は上々で、登場した78年に3.8万台、79年6.6万台、80年7.7万台、81年7万台と、安定した販売が続いて安堵した。

ちなみに販売価格は72.8~103万円。

が、このように順調な販売が続いても、日本市場では定期的な衣替えを必要とするのが習慣、というより悪習が慣例だ。で、82年になると、ミラージュも化粧直しをして、ミラージュ2へと進化する。

ミラージュ2になって、目新しいのは1600ターボの登場だった。この時代、まだターボチャージャーは珍しかった。もちろん世界的にもである。

日本で最初に登場したターボモデルは、79年6月にフルモデルチェンジしたセドリックが、半年後の12月に追加したハードトップ・ターボである。当時は、排ガス規制が年々強化される真っただ中で、各社、対策で軒並みダウンするパワーをどうするかで悩んで試行錯誤をする中で、日産が選んだ解決策がターボ(米ギャレットリサーチ社)搭載だったのだ。

登場した1600GSRは136万円だった。G32Bターボは直列四気筒SOHC、B76.9xS86ミリ、1597cc、圧縮比7.9、120ps/5500rpm、17.5kg-m/3000rpm。その他の諸元は、全長4005ミリ、全幅1635ミリ、全高1360ミリ、ホイールベース2300ミリ。車重880㎏。タイヤ175/70SR13。5MT。

1600GSRの走りは、さすがターボ。軽量ボディーと相まって軽快。しかし等長ドライブシャフトでトルクステアもなかったが、まだFF技術は発展途上だったから、タックインやオーバーステアが強かった。腕が良ければ、それが面白かったが。また流行り始めのターボということもあり、立派なエアスクープを付けて、ターボ搭載を誇示する時代でもあった。

筑波サーキットで走行テスト中の1600GSR ターボ

ミラージュ2が登場した82年=昭和57年。ホテルニュージャパンの火災、日航機の逆噴射墜落事件などが想い出されるが、映画ではスピルバーグのETが話題だった。

ちなみに当時の三菱製乗用車を並べてみると、古風なデボネア、ギャランΣ、エテルナΣ、トレディア、コルディア、シャリオ、ランサーEX、ランサーフィオーレ、ミラージュ、ミニカといった顔ぶれだった。