【車屋四六】自動車用暖房装置が登場 ~ボッシュ型ヒーター~

コラム・特集 車屋四六

近頃、ヒーターがない乗用車などというものを見つけるのは難しい。もっとも、1年中寒い日がない常夏の国で売られている自動車、そして製造される自動車のことは知らないが、少なくとも日本で売っている自動車でヒーターの無い車は先ず無かろう。日本では、エアコンだってほとんどが装備済みで、実に便利で楽な時代になったものだ。

いずれにしても、寒い冬、暑く湿度が高い夏、日本でのエアコンは1年中必需品だと、昔を知らない今のドライバー達は思っているし、ヒーターのないクルマなど考えたこともないだろう。

が、昭和30年代の日本では、ヒーターのない新車が売られていた。更に20年代迄さかのぼれば、まずヒーターは無いというのが当たり前で、もちろんエアコンなど「とんでもない」という時代だった。

しかし、WWⅡ(太平洋戦争)以前、自動車が特権階級の持ち物だった頃にはヒーターが付いていた。昔の学校や事務所、今でも外国の古い建物などに見られる、蒸気を循環させるヒーターに似たやつだ。クルマの場合は蒸気でなくエンジンからの温水を蛇腹のチューブで循環させるのだが、それが後席足下に露出していて、おおかたは銀色に塗られていた。

昭和20年、日本が戦争に負けて、進駐軍が持ち込むクルマのうち、シボレーやフォード、プリムスといった米国製大衆車や、欧州、おもに英国車の廉価版にはヒーターはなかった。また、生産を再開した日本製自動車のほとんどにもヒーターはなかった。

日本国中が大貧乏の時代には、それで良かったが、昭和30年代に入り、少し景気が上向き生活にゆとりが出始めると「冬の寒さ何とかならないか」とユーザーに欲が出始めた。そこで、輸入される外車、国産の高級車には標準装備されるようになるのだが、国産廉価版は相変わらず無装備だった。もちろん、商用車やトラックには無い。

そんな頃に輸入されたクルマのダッシュボード下に、格好の良い丸形ヒーターを装備したのがあった。私が見た多くは、ドイツのボッシュ製だった。

日本製ボッシュ型ヒーター:奥のフィン部分から室内空気を吸い、前方から温風を吹き出す。観音開き左右二枚のドアの開閉で吹き出し量を調整。高品質な仕上がり

当時の日本は、ついこの間までの韓国、現在の中国と同じように、アッという間にコピー製品が生まれる体質だったから、すぐにボッシュそっくりのヒーターが誕生した。ディーゼル機器や電装などの製品は、ボッシュそっくりなのはともかく、性能も仕上がりも良かった。

今回紹介する写真の製品も、姿のイメージ、そして、中身原理もボッシュからのものだろうが、それ以外は自身で工夫した跡が見られる日本製後付ヒーターである。

「あなたの車にベスト・オートヒーターを」→東京杉並永福町の東京オート㈱が製造発売元で、2本の電話局番の片方が2桁、一方が3桁だから、東京に電話が増えて、新しい電話局の新設でちょうど局番切り替わりの頃である。私の家も赤坂48局から481局に変わったが、時期は覚えていない。

昭和40年前後になる売れ始める後付用エアコン:小型車用アンダーダッシュ型と大型車用のトランク内蔵型。ダッシュ型はもろに冷風が吹き込むのでスカートの女性から苦情も

写真のヒーターは、どのような車にも取り付けられる汎用型だが、注意書きで、ブルーバード、ニューダット、ニューヒルマン、オースチンA50、ルノー各車には専用型があると書いてある。この一群は、当時の日本製で大量に生産販売されていた車たちだ。

ルノー昭和28年、オースチンが30年、ヒルマン31年、ダットサン210型32年、ブルーバード34年が、それぞれの登場年だから、広告の年代は昭和35年頃だろう。

日本の高級車、クラウン、セドリック、グロリアなどの上等バージョンには「はじめからヒーターが付いているぞ」と感心したのもこの時代のことだった。エアコンといってもカークーラーだが、日本市場で後付け型が増え、また標準装備が増え始めるのは昭和40年代に入ってからである。