【車屋四六】三兄弟の兄貴分はバイオレット

コラム・特集 車屋四六

日産バイオレット誕生は73年。開発コード710はブルーバードの筈だが、日本経済急成長の中、各社車種増加に夢中。で、急遽開発中のブルーバード710をバイオレットに変身させたのである。
もちろん新ブルーバードは810で79年登場のヒット作。

77年、バイオレットは二代目に進化するが、まだ続く車種増加傾向に合わせて、バイオレットオースターとスタンザが派生して、三兄弟体勢で発展途上の市場にのぞんだのである。
後日ふと気がつくと、バイオレットオースターからバイオレットの文字が消え、単にオースターになっていた。

バイオレットから派生したオースター:偶然撮影は調布空港だが、ここでもBピラー上部にエアロスバルFA200が

バイオレットは79年にマイナーチェンジ、写真は最上級車種のオープンバック1600SGX-E/130万円で、リファインされた姿は直線基調で、ヘッドランプが流行の先端四灯型で角形が更に斬新で人目を引いたものだった。

撮影は調布空港、後方の戦争中の陸軍戦闘機用格納庫は老朽化で後に取り壊された。米軍が作った管制塔も既にボロボロ、風が強くなると管制官が逃げ出すので、パイロットは自機位置を報告しながら勝手に離着陸という、緊張する飛行場でもあった。

ついでに管制塔下の軽飛行機はエアロスバルFA200/富士重工製:全長7980㎜全幅9420㎜・ライカミングO-320-D2四気筒5120cc160馬力・最高速度222㎞/巡航175㎞/航続距離1130㎞。
エアロスバルは日本で100機ほど売れ輸出もされた。頑丈で曲技も出来たが乗り心地と操安性がいまいち。長距離飛行で疲れるので、私はムーニーやセスナ、ビーチクラフトの方が好きだった。

さて、脱線した話を元に戻そう。写真(トップ)のバイオレットは、全長4220㎜全幅1600㎜全高1350㎜、WB2400㎜。車重1015kg。Z16Eは直四OHC1595cc105馬力/排ガス対策は酸化触媒型。
車の性格は、どちらかというとスポーティー指向で、オーバードライブ付五速MT、前輪にディスクブレーキとタイヤもラジアルというのが自慢だった。

バイオレットは、初代から出足好調…75年6万7461台、76年6万2485台、フルモデルチェンジした77年には8万4339台、78年7万8371台あたりがピークで、以後は年々売上げ低下、81年三代目にフルモデルチェンジするが、82年に市場から姿を消した。

当時の日本は、バブルが最大に膨らむ10年ほど前の高度成長中だから、せっかく増やしたブランドを短期間で何故やめてしまったのか、不思議でならない。

写真(トップ)のバイオレット登場の79年は昭和54年…不況の軽自動車界に活を入れたアルト/47万円見参・大ヒット1億6000万台を売るウオークマン/3.3万円・NECのPC8001で日本のパソコン時代の幕が開く/本体だけで16.8万円。東芝から登場の日本初の日本語ワープロJW-10は、なんと630万円。79年は日本の電子工業が世界レベルに達した年と思っても良かろう。

大井埠頭で撮ったスタンザはフォードア・ハッチバック