【車屋四六】甦ったアウディ

コラム・特集 車屋四六

アウディの名は1939年に市場から消えたが、65年、26年ぶりにアウディ72型で甦った…DKWF102のスタイリングを引き継ぎ、ダイムラーベンツのエンジンを搭載していた。

ダイムラーベンツのエンジンは、水冷直列四気筒1697ccで72馬力なので、それがアウディ72のネーミングの元かもしれない。
戦後は2ストロークだけだったから、4ストロークの技術がなかったからダイムラーからということだったようだが、いずれにしても伝統2ストロークからのサヨナラだった。

コンパクトから一人前サイズになったアウディ72は評判良く、65年1万5700台、66年6万3500台、67年3万62台、68年7万台、69年12万499台と快進撃、その後のアウディ成長に大きく寄与したのである。

アウディ72の66年のカタログには、60・70・75・80・スーパー90と、五車種が並んでいる。写真のアウディは残念ながらどれか判らないが、日本市場のでは最上級モデルの輸入が習慣だから、スーパー90の諸元を参考迄に載せておく。

WB2490㎜。直四1770ccは高い圧縮比10.6で93馬力/5200回転。4MT・最高速度163㎞が公表値。四輪トーションバー/前Wウイッシュボーン/後トレーリングアーム・前ディスクブレーキ。

駆動方式はDKW依頼の伝統でFWDだが、軽もどきだった車から一人前のサイズに成長して、走りも元気になった。
がドイツでは{公務員の車}と呼ばれたように、高級車イメージはまだ生まれていない。実用的小型乗用車として認知されたので。

東京モーターショーに登場のアウディ

さてアウディのエンブレムの四つ輪だが、こいつはバンデラー、ホルヒ、DKW、アウディの四社合併で32年にアウトウニオン社が誕生して以来のマークである。さらに49年にNSUも加わるが。

五社の中で最古は1873年創業のNSU、日本では明治6年のこと…徴兵令公布(男子20才で徴兵検査)…国民皆兵で平民の軍隊が発足した年である

次ぎバンデラーの創業は1885年=明治18年…自由民権運動の壮士が時事評論節をつけ歌ったの、演歌の始まりである。

ホルヒの創業は1899年=明治32年…、日本初ビアホール誕生…日本ビールが銀座八丁目にエビスビアホールを開店・1日800人の来客で大繁盛と報じられている。

DKWは1907年=明治40年・日本初のガソリン乗用車タクリー号誕生の年である。

そしてアウディが1907年=明治42年…総工費27万円で完成した屋内相撲場=両国国技館の誕生である。で、晴天十日、雨が降れば中止という、江戸時代からの習慣に終止符が打たれた。

いずれにしても欧州老舗自動車メーカーの歴史は、日本とは比較にならぬほど古いのである。

アウディで旅行のエージェントのヤナセ社員