【車屋四六】八丈でフィアット・クロマ起死回生

コラム・特集 車屋四六

フィアットはイタリア最大の老舗メーカーだが、昭和20~30年代にパッカードやダンロップのエージェントの日本自動車が倒産してからは、忘れられた存在になってしまった。

80年代になると、JAX、そしてチェッカーモータース、サミットモータース(住友系)が乗り出して元気を取り戻す。
早速ジュネーブショーでお披露目したばかりのクロマ(85~96)が輸入され、金を掛けたキャンペーンを始めた。

その一端が八丈島一泊の報道試乗会だった。麻布の自宅から浜松町→290円払ってモノレールで羽田空港→全日空往復2万円はJAX持ちで八丈ビューホテルヘ。

クロマは当時画期的手法で開発された…フィアット家族にサーブも加えての共同開発でコストダウンを狙ったのである。
で、登場の一番手がサーブ9000、二番アルファロメオ164、三番ランチャテマ、そしてクロマの登場となる。
四台は共通のフロアパンで仕上げられたが、フィアットはスタイリングをシウジアーロに依頼して姿の良い車に仕上がった。

全長4485㎜・全幅1760㎜・全高1415㎜・WB2660㎜。四輪ストラット&コイルスプリング。四輪ディスクブレーキ。パワーステアリング。車の上下で光軸一定のライトアジャストメント。集中ドアロック。ABSオプション。とにかく装備は当時の最先端だった。

ターボieの端正なリアビュー:遠方に今は無人島の八丈小島が

横置き直四DOHC1995ccは、NA・ウエーバー型インジェクションで120馬力・3AT。エアリサーチ・ターボ仕様は空冷インタークーラー付とボッシュL2ジェトロニク噴射型で156馬力・5MT。

フィアット最上級車種らしい価格は、NA-ie/425万円、ターボ-ie435万円。ターボはなかなかの元気者で、最高速度210㎞、0―100km/h7.8秒、0-400m15.5秒が公表値だった。

ジウジアーロのデザインは、横から見るとセダン=3BOXだが、実はハッチバック5ドアで、ショートデッキ&ロングノーズ、スラントノーズ、サフェイスボディーが相まって、当時としては感心する空気抵抗係数Cd=0.32を生み出していた。

全高が高いこともあり、キャビンは広々とした空間を稼ぎ出し、高速になっても風きり音が少ない車だった。秋の八丈島を走り回った印象は良かったから、金を掛けた試乗会は成功だったと思う。

フィアットは90年に日本法人を設立して、販売に本腰を入れ始めた。その後アルファロメオの輸入も開始、今ではダイムラーベンツから離れたクライスラーも傘下に収めて、陣容を整えている。

さてFIATとは、Fabbrica Italiana Automobili Torinoの頭文字。で、判るようにトリノ市の代表企業だが、現在はイタリアの顔的存在にまでなっている。

今ではフェラーリもマセラティも参加だが、飛行機、トラクター、新聞社と広範囲に活躍する。1938年日本陸軍が重爆撃機を輸入した。かつてはモータースポーツの覇者でもあった。

セダンに見えるが実はファイブドア・ハッチバック