【車屋四六】クレスタはトヨタの孝行息子

コラム・特集 車屋四六

{遙かなる走路}は、織機から自動車へ、シボレーのコピーから自動車会社をスタートさせた豊田喜一郎の伝記映画:昭和55年松竹映画製作・脚本新藤兼人・音楽ゴダイゴ・市川染五郎、田村高広、司葉子、中野良子など豪華な俳優陣だった。

映画が出来た1980年、トヨタは既にトップメーカーで、年産230万3284台で市場占有率39.7%、あと一歩で40%の大台に、という頃だった。

市場占有率アップ=販売数アップとは簡単な図式で、新販売チャネル増設は各社の常套手段…で、80年4月から営業を始めた新設ビスタ系列店に、トヨタが投入したのがクレスタだった。

新規開店に合わせ、3月誕生のクレスタはMK-Ⅱベースだから、チェイサーと三兄弟ということになる。が、二台の兄貴分は10月がフルモデルチェンジの時期…で、専門家はクレスタの新鮮味も僅か七ヶ月と心配だった。

が、蓋を開ければ全くの取り越し苦労でシャシーは新開発・MK-Ⅱ&チェイサーが、それをベースに仕上げられていた。トヨタは、新鋭クレスタに。並々ならぬ期待をこめていたのである。

クレスタの陣容は、1.8ℓと2ℓ。価格119.3万円~スーパールーセント/写真190.7万円で、当時の流行語{ハイオーナーカー}というふれこみだった。
が、MK-Ⅱ2800グランデ327.8万円、チェイサー2000アバンテ209.3万円、最上級グレードで比較すれば、三兄弟の末っ子ということになる。

{クレスタ}とは、西洋でよく見掛ける王家や名家の紋章、都市の紋章、その上部に輝く王冠のような部分を指すのだそうだ。

全長4640㎜、全幅1690㎜、全高1395㎜、WB2650㎜、車重1225kg。13T-EU型1770cc直四OHC65馬力/1G-EU型1998cc直六OHC125馬力。前輪ストラット/後輪セミトレ-リングアーム。4ATはOD付。
81年になるとターボモデル/222.7万円が追加される。

当時のスタイリング傾向通り、直線と平面構成の姿はシャープで切れがあった。人気のハードトップ姿は、日産のピラーレスに対して、トヨタは細身のピラーを残していた…安全志向だったろう。

80年に撮った写真(トップ)は、箱根の竜宮殿旅館前だが、暫くしたらクレスタを置いたところにはテニスコートができていて、写真を撮ることができなくなっていた。

新生ビスタ店は頑張ったようで、クレスタの評判はよく、誕生した80年2万8052台、81年4万1533台、82年5万4076台、83年6万4095台と、末期に落ち込むことなくフルモデルチェンジ…二代目も、84年6万7012台と売り上げ安定という、トヨタの孝行息子として育っていったのである。

豊田佐吉邸前のトヨタAA型