【車屋四六】手作りの逸品ファーセルベガ

コラム・特集 車屋四六

自動車生産国には自慢の高級車があるものだが、何事にも世界トップを自認するフランスのWWⅡ以前には飛びきり上等の車がたくさんあった。が、現在ないのが不思議である。

が、全くなかったというと、あることはある。ハンドメイドの逸品、ファーセルベガは、そんな一台である。
60年代、日本でも走っていた。が、生産台数が少ない車だから、出会った時は、万馬券のごとくラッキーと思ったものだ。
暫く見掛けなかったから「もう日本には居ないのだろう」と思っていていたら、トヨタ博物館の保存倉庫に眠っていた。

昔、皮革使用制限規則というのが施行された。靴を除き{革製品は駄目}というのだから困ったものである。ハンドバッグや革ジャンなどが駄目は贅沢品だから判るが、ランドセル、ベルト、時計バンド、野球のグローブからボールも駄目という広範囲なものだった。
昭和13年、支那事変(日中戦争)が泥沼化したWWⅡ直前の時期、全ての物資は軍事優先ということの結果だった。

昭和13年/1938年、飛行機用工具製造目的でファーセル社は誕生した。が、フランスがドイツに占領されるとガスジェネレーター生産に転換、戦後はキッチン家具生産に転向、そして名門パナールとシムカの下請けで、ボディー製作を始めて自動車業界との縁が。

ダットサンボディーを造った立川飛行機が{たま電気自動車}を作ったように、ファーセルも自動車を作りたくなり、その夢を実現したのが54年のパリオートサロンだった。

登場した高級スポーツカーはファーセルベガ・ファーセルを名乗り、チューブラーフレームにデソートの180馬力ファイヤードームV8を搭載していた…エンジンをクライスラーからというのは、シムカがクライスラー資本という縁からである。

ファーセルの後姿

当時のアメリカは、馬力競争の最中というわけで、56年には5.4?のファーセルIIになり、57年にはファーセルIIをベースに5907cc360馬力搭載のHK500が誕生する。
最高速200km/h超えという高性能バージョンは、全長4590㎜、全幅1800㎜、全高1360㎜、車重1920kg。

ハンドメイドの高級スポーツカー、ファーセルは高性能で、価格はロールスロイスに匹敵と云われた。当然売れる数は少なく、生産量は年間数十台。これでは儲からないと、60年になると、直四1.6?搭載のファーセルベガ・ファセリアを発表する。

目論見は成功で売り上げは500台に跳ね上がるが、経営は改善せずジリ貧が続いた。シュド航空の援助も得て、エンジンもヒーレーやボルボから買ったりもしたが、しょせん悪あがきに過ぎず、65年に倒産してしまった。

WWⅡ前、フランスは、高級車や銘車の産地だったが、戦後は中型を上限とする実用車ばかり、そんな状況の中にあって、短期間ではあったが、ロールスロイスやメルセデスに肩を並べる一輪の花が、ファーセルだったのである。

ファーセルの運転席

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