【車屋四六】イギリスのプリフェクト

コラム・特集 車屋四六

WWⅡ中、兵器生産に終われた英国フォードの自動車生産再開は終戦の45年で、下位モデルのアングリア、次ぎにプリフェクトの戦前モデルからの再出発だった。

そしてフェイスリフトしたのが写真の車だが、中身は戦前型の継続で、49年から53年まで生産された。こいつは英軍兵士や家族が日本の路上で乗り回していたから、私には懐かしい車でもある。

その諸元は、全長3942㎜、全幅1428㎜、全高1613㎜、WB2388㎜。車重820kg。水冷直四サイドバルブ1172cc・圧縮比6.16・30馬力/4000回転・3MT・タイヤ500/16・最高速度96km/h。

余談だが、画期的フラッシュサイドボディーが、49年本家米国フォードで登場して世界の注目を浴びる…で、英国フォードもいち早く採用、第一弾50年生まれのコンサルは、マクファーソンストラット採用でも注目を浴びた…プリフェクトは53年。

フラッシュサイドになった戦後開発のプリフェクトと持ち主の浅草橋久月の横山博久・と初代ブルーバード310柿の種

ちなみに英国フォードは、T型のノックダウン目的で1911年に創業の老舗。当時英国は自由貿易で関税ゼロのため、完成車輸入より、ノックダウンの方が安くなるという算段だったのである。

そんな11年とは、インディアナポリス500マイルレース開始の年…優勝はマーモン・平均速度119.5㎞・獲得賞金2万5000ドル…11年=明治44年頃為替レートは1$=約2円=優勝賞金が5万円、と云われてもピンと来ないだろう。
当時日本の物価、初任給:巡査12円、銀行50円、夏目漱石200円(朝日新聞)。年俸:国会議員2000円、都知事4500円、総理大臣1万2000円、ちなみに東大授業料50円、背広20円、鰻重30銭、アイスクリーム15銭、あんパン1銭の時代である。

英国フォードは、欧州初の米国資本100%子会社。そのご順調に発展、13年7000台、14年8000台=シェア30%で、英国市場のトップメーカーになり、23年には3万台のピークに達した。
が、これがピークで下降線をたどるのは、英国製小型車が元気を出し始めたからだった。

先ずモーリスに追い越され、次がオースチン、更にシンガーにもという事態にフォードは、28年にT型からA型に切り替えるが、販売改善にはつながらなかった。

で、対抗策として開発した小型車がベビーフォード。32年登場のポピュラー課税馬力8馬力=エイトは、オースチン・セブンより安いので人気者になり、33年3万台を売り、シェア18.9%で三位に返りさいたのである。

気をよくしたフォードの、二匹目の泥鰌が35年登場のDXフォード・テン/1172cc32.5馬力。テンは38年に改名してプリフェクトに。次ぎに40年エイトがアングリアに改名する。

プリフェクト誕生の35年、米国デュポン社から{石炭と空気で鉄より強く蜘蛛の糸より細い}と誕生したのがナイロンだった。

小学校で同級生の写真家島康夫のプリフェクト・昭和30年代かなり稼ぎがないと乗れないマイカーだった