【車屋四六】オランダのダフはダフ屋じゃないよ

コラム・特集 車屋四六

「ドイツで生まれてフランスで育った」とフランス人は自慢するが、いずれにしても自動車生産は、この二国から始まり、ヨーロッパやアメリカに広がっていったのである。
ではオランダの車産業というと首をかしげる人も居るようだが、少しだが有る。写真のダフ62年型は数少ないオランダ製だ。

開発したのはバンドルネ社…「そんな会社知らないよ」という人は認識不足で、日本とは縁が深い会社である…日本が世界最先端と信じる無段変速AT、あのCVTの特許の持ち主なのだ…さしずめ「CVTはオランダで生まれて日本が育てた」といったところである。

日本のCVTは、バンドルネから特許スチールベルトの購入契約を結んだスバルが、世界初量産実用化に成功、他社も追従してCVT技術が磨かれ進化していった。

CVTで出遅れたかに見えたトヨタは「やがて来るだろう省燃費時代を見据えて研究開発をやっています」と、金原副社長と会食した時に聞いたことがある。

そんなCVTの家元が開発したのがダフで、当時商品名バリオマチックを名乗った。こいつは沢山の駒を金属ベルトに挟んだ型式ではなく、二本のゴムベルトだったが、相対する可変プーリーを使う原理は共通、いわば現行CVTの先祖なのである。

最初のダフ33型の発表は59年。空冷水平対向二気筒OHV590cc22馬力は、バリオマチックを介して駆動するFR型式で、61年一号車が、オランダではなく英国に渡った。

62年エンジンを750ccに拡大で30馬力・全長3680㎜全幅1440㎜全高1380㎜・車重665kg・四輪独立懸架・前トーションバー/後コイルスプリングというのが写真の車である。(トヨタ博物館蔵)

ダフの後姿

写真のダフ誕生の62年、日本では鈴鹿サーキットが完成。第一回二輪日本選手権レースが開催された。世界では自動車後進国だった日本から敗戦の後遺症が消えて、マイカー時代が始まり、このころ交通戦争などという言葉が聞かれるようになった。

ダフ33型750ccは好評で、登場した62二年に6万台を売り上げた。66年には44型に進化、844cc40馬力になり最高速度も108km/hから128km/hにアップする。

更に進化して、68年の55型では、ルノー用1108cc50馬力で、最高速度140㎞に。そしてルノーエンジン搭載を機に、電装も6Vから12Vに変更。72年に66型に進化するが、75年ボルボの傘下に入る頃には1300ccを搭載していた。

やがてダフ生みの親のバンドルネ社はボルボ社の傘下に入るが、さらにオランダ政府と三菱を加えて、三分の一ずつ出資のネッドカー社に発展する。

狙いは合理化。三菱開発のプラットフォーム共用の作品は、三菱カリスマとボルボV40。見学のとき、同じラインをボルボと三菱が流れてくるので、何か不思議な光景を見る気がした。
カリスマとV40は、ともに輸入されて日本を走った。

我々には見慣れぬダフだが、バンドルネ社は現在オランダ唯一の自動車メーカーで。50年に始めたバスとトラックでは知られた存在…それ以前に軍用四輪駆動車を造ったのは40年、更にさかのぼると、28年にトレーラーを生産という実績があり、実は老舗だったのである。