【車屋四六】BMWイセッタ

コラム・特集 車屋四六

厳しい報道管制で、太平洋戦争前から、特に戦中は外国文化の情報は皆無だった。そんな鎖国状態が敗戦で終わり、進駐軍専用放送(WVTR/後のFEN)の最新メロディー、そして外国映画、雑紙などからの新知識を、我々はむさぼるように吸収した。

が、ハリウッド映画や雑紙からの外国文化はどれも夢で、特に自動車などは憧れだけ…我々の車といえば自転車くらいなものだから、米国では「二人に一台」と聞いてもぴんとこなかった。

が、敗戦貧乏から立ち上がり、働きまくった結果、自転車に原動機が付→軽バイク→スクーターと向上して、50年代には自動車も現実味を帯びてきた。

で、誕生の軽規格は、2ストローク250cc、4ストローク360cc…早速、52年オートサンダル、53年ニッケイタロー、55年テルヤン、56年のフジキャビンは正に欧州で云うバブルカーだった。
が、どれもがひどい性能で「渋滞の先頭は軽四」と揶揄されるほどの鈍足の持ち主ばかりだった。

さて日本の軽自動車は庶民初のマイカーだが、欧州の軽は、敗戦国も戦勝国も、経済再建優先で、簡易製造廉価な軽を小型車の本格生産再開までの中継ぎとして登場させていた。
だから世の中が落ち着けば徐々に姿を消したが、日本は世界で珍しく軽自動車が生きのこった、対照的な国なのである。

さて欧州に生まれたバブルカーの中から今回取り上げるBMWイセッタのルーツは、54年にイタリアで生まれたイソイセッタ。
その合理的発想は、55年登場のハインケル175ccも頂戴している…同社は戦中活躍の有名航空機メーカーである。

屋根が幌のハインケルは前開きではないが、基本レイアウトはCPが高いイセッタからのまま

イソイセッタは、発想は素晴らしかったが、エンジンが非力で振動騒音が高い、ということで不評…それに目をつけたBMWが工場ごと製造権を入手…当時BMWは高級車での戦後再開が裏目に出て、倒産寸前ゆえの解決策だったのである。

イセッタは、BMWバイク用175cc搭載で元気に走り出したが、目の上のタン瘤的存在が居た。時速100㎞で走る53年誕生のメッサーシュミットKR175だった…メッサーシュミットも戦中に戦闘機で有名なのは御承知の通り。

もっとも、メッサーシュミットの形状はイセッタもどきではない。タンデムシートで一体型透明キャノピーを跳ね上げて乗降するさまは、まるで名戦闘機109のスタイルだった。
が、二輪の名門ツンダップから56年登場のヤヌスもイセッタもどきで、58年生産中止の後英国でトロージャン200の名で甦る。

さて伊国のイセッタが、これほどまでに真似されたのは、合理性と廉価…優れたコストパフォーマンスが魅力だったのである。
頑丈軽量なモノコックボディーと乗降が楽なドアが一枚、極小トレッドの後輪はデフ不要、投影面積極小、等々が特徴である。

大きく頭上まで開く一枚ドアは、雨が降り込む日以外は快適…ドイツで歩道に向けて駐車して、いきなり歩道へというのを見て、こいつは便利だけではなく安全でもあると感心した。

ハンドルがドア一緒に開き乗降が楽…ハンドルポストに変速レバー・アクセル・ブレーキペダル・クラッチ。横に変速レバー・駐車ブレーキは運転席下に、後部エンジンの上に少々の荷物が…ドイツでは車体外後部にパイプ棚を付けている姿も見た。

メッサーシュミットKR175カビネンロッラー:キャノピー全体がガバッと横開き/後部に荷物用パイプ棚が見える

最高速度80㎞は、100㎞のメッサーシュミットにアウトバーンで追い越され悔しい思いをするのだが、60年に四座のBMW600が登場して解消することになる。

BMWイセッタとメッサーシュミットは日本でも走る姿が見られたが、姿・品質・性能、いずれも日本の軽とは雲泥の差だった。