【車屋四六】日本初グランプリ、日本初GPのジャガーEタイプ

コラム・特集 車屋四六

日本初日本GPで、矢のように走るロータス23の後方で、フェラーリ、アストンマーチン、ポルシェカレラ、ジャガーDを、プロドライバーが操る三つどもえの戦いは、華麗なロータスとは対比的豪快さが、たっぷりと味わえた。

いずれにしてもメインイベントは、外人勢同士の戦い。日本人のレースで迫力を感じたのは、2.5ℓ越えのGTレース、20ラップ/29.08㎞。ジャガーE5台、ベンツ300SE、ヒーレイ300、ヒーレイ100、計8台が豪快に争ったレースである。

ドライバーは、ロータス23でGP三位のA.オーエン、横山達(後のプリンスチーム主将)山西喜三夫、伊藤一夫、田中松雄がジャガーEタイプに。ヒーレイ3000浅野正雄、ヒーレイ100中野宏一郎、ベンツに日本在住の英国人W.エリック・バーレットという顔ぶれ。

スターティンググリッドは、前列オーエン、横山、浅野、二列目バーレット、山西、三列目が伊藤、田中、中野の順。
スタート後、最初の第一コーナーは、横山に40mもの差をつけてオーエンのジャガーEが、こいつはプロの腕前と云うよりは、マシーンのチューニングレベルの違いである。

庶民羨望の的ジャガーEタイプが日光のSCCJミーティングに

ジャガー横山を追うのは、浅野、田中の順。スタートで先頭を切った浅野は、1コーナーまでに追い越された。
もっとも浅野の先頭は、フライングスタートの結果だが、初めての大レースに興奮していたのだろう。
が、浅野の違反に対して、失格もペナルティーも科されなかった。

彼は最初の第17カーブ、立体交差を過ぎたところでコースアウト、フェンスを突き破って崖下に転落、重傷、一周もせずにリタイヤしたからである。
プラクティスタイムが素晴らしかっただけに惜しまれるリタイヤだった。浅野は病院に直ぐに搬送されたが、意識不明のまま半年後に、他界した。

レースは、200mもの差を付けて独走するジャガーEオーエンのゴールで終わるが、それを必至で追いかける横山の走りも見事なもので、後々までの話題となった。

もう一つ観客を興奮させたのは、バーレットの走り。当時最新型燃料噴射でハイパワーとはいえ、所詮アマチュアのベンツは乗用車まる出し…街乗りなら乗り心地の良いエアサスも、コーナーでの大ロールは見る者をはらはらとさせ、時には内側前輪が浮いたりして拍車喝采を受け、コーナー毎に上げるタイヤの悲鳴はグランドスタンドにまで聞こえるほどだった。

レース結果は、優勝ジャガーE横山達、二位バーレット、三位田中…トップゴールのオーエンが何故?と思うだろう。
たぶんファクトリーチューンであろうジャガーE、そして一流プロドライバーのオーエンの腕前でのアマチュアレースでは、当然あかご相手のレースは判りきったこと…というわけで、賞典対象外の特別参加ということだったのである。

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