日本自動車史上で有名なBC戦争(ブルーバードvsコロナ)が、日本初のグランプリで見られなかったのが残念だった…出場したクラスが違っていたからである。
もっとも同クラスだったとしても、日産に勝ち目はなかったろう…準備万端コロナ一・二・三位独占のトヨタに対し、日産はGPに興味がなく、勝てないなら他のクラスでということだったのかも。
晴天5月4日、700~1000ccツーリングカーレースは10周60.04㎞。出場車は、日野コンテッサ8台、ルノー4CV-2台、ブルーバード3台、独DKW2台、ルノードーフィン1台。
さて当日本番の出走順位は、一列/DKW井口のぼる、コンテッサRダンハム、ドーフィンVローズ、二列/コンテッサ塩沢三子夫、小島常夫、三列/ブルーバード清田卓也、四列/DKW津々見友彦。
さて、本番開始で大番狂わせが…本命の井口がスタート失敗で、五列目の塩沢勝臣のコンテッサにも抜かれてしまったのだ。
その第一コーナーは、ダンハム→小島→ローズの順。が、失敗で遅れた井口も、持ち前の早さで八番手まで順位を上げていた。
トップを引くダンハムは見事に早かった。それは豪快と云うよりは強引と云った方が良く、独走を続けたが、三周目に立原に抜かれ、さらに酷使でエンジン不調になったが、それをなだめながらの七位ゴールは、彼の腕前のなせる技だったのだろう。
一方、出遅れた井口の追撃はすさまじく、コース全面にわたりゴボー抜きを繰り返し、四周目のヘアピンでダンハムを抜いて二位に浮上、立原も抜いてトップで、メインスタンド前に姿を現した。
「あー本命が帰ってきた」と誰もが思い…調子にのった井口は、周回ごとに立原との差を広げていった。
が{そうは問屋が卸さない}というやつで、そのまま逃げの体勢に入ればいいのに、初めてのビッグレースで経験不足のせいか、調子にのり飛ばし続けたからファンベルトが外れ、やむなくピットイン、コースに戻った時には、立原との大きな差は逆転していた。
再び、井口の猛追撃が始まったが、既にレースも終盤、夢よもう一度の再現はなく、結果は二位だった。
もちろん優勝はコンテッサの立原義次で、三位ローズのルノードーフィン。ちなみにドーフィンはゴーディーニと呼ぶチューナーの知られた高性能車であった。
レース中観客を喜ばせたのが、予想外の五位入賞を果たした津々見友彦のDKW。同じDKWといっても世代が古く、誰が見ても疲れ切った車で、コーナーでは後輪片足を宙に持ち上げるので喝采を浴びていた。そんなDKWをあやしながら走りきっての五位は、彼の高い操縦技術にほかならない。
ブルーバードは、笠井九位、清田十四位。ファクトリー体勢で望んだコロナと出会わなかったのが不幸中の幸いだった。が、GP無視の日産に{瓢箪から駒}フェアレディーの優勝は別の機会に。