【車屋四六】BMW507はコレクターアイテムの筆頭

コラム・特集 車屋四六

八重洲口BSビル地下にカナザワという床屋があった。名人の噂にたがわず、BSの石橋社長はもちろん、一流財界人、一流政治家が常連で「こちら笹川良一さん」と紹介され、普通のより大きな名刺を頂戴したこともある。

店には鳩山一郎の“天下第一人”や緒方竹虎の額が飾られていた。鳩山は岸信介や河野一郎のボス、緒方は大野伴睦や池田勇人のボスで、初代自民党総裁の座を争ったライバル同士。
が、急性心不全68歳で緒方が亡くなり鳩山が初代総裁に就任。

そんな高級床屋に私も常連だったのには訳がある。航空部二年先輩の金沢治が其処の長男だったから。高い散髪代も「君たち出世前・学割で」でと150円。麻布の普通の床屋が250円の頃だった。
1000円、2000円出して「釣りは要らない」と帰っていく大物人物を気さくに紹介された。緒方さん、笹川さん、噂話しとは裏腹に優しいおじさん達で、一目で好きになる、カリスマ性とはこんなものかと思った。

鳩山初代自民党総裁誕生は昭和31年=56年で、ドイツで高級スポーツカーが誕生した。戦後の復興を高級車路線から出発のBMWの二座席ロードスターは、BMW507と呼んだ。

戦後、BMWの本格的復活は高級路線で、52年の501型。搭載の直六.2077ccが、戦後ドイツ初のV8型2580ccに替わって502型に。次ぎに3168ccに拡大して503型に進化する。
その503をベースに開発されたのが507だった。

507の横顔:今でも現役で通用しそうな美しいフォルムだ

自慢のV8は150馬力を誇り、最高速度220㎞は当時としてはサラブレッドだった。で、仮想敵は泣く子も黙るベンツ300SL。
当時を知るドイツ人ジャーナリストから「性能も品質も507は300SLを上回っていた」と聞かされた。

が、300SLの好調に対して、507の売れ行きはさっぱり…理由は簡単、値段が高過ぎだったのだ。
兵隊でドイツに駐留したエルビス・プレスリーが、除隊で帰国するときに507を持ち帰ったと聞いた。とにかく余ほどの裕福マニアでなければ、買う気にはならない逸品だったようだ。

高級車編重で戦後を再出発したBMWは、501→502→503と進化するが、いずれも芳しくなく、開発費が高い高級スポーツカー507でジリ貧は最高潮になり、苦境に追い込まれていくのである。

507の強心臓、V型8気筒+ツインキャブレター

で、苦境からの脱出となれば、当然リストラのターゲットは507で、登場から僅か2年で消え去るという短命な銘車となる。
皇太子殿下(現平成天皇)御成婚中継がTV普及の引き金となり、江利チエミと高倉健が結婚した59年、507は市場から姿を消した。総生産台数、僅かに215台だった。

写真は58年型BMW507と私。96年12月、大磯で開催の新型BMW報道試乗会で展示されていたもの。
素晴らしいコンディションのこの507は、和泉ナンバーが付いた現役登録車で、堺市にある土井コレクションの所蔵だそうだ。

土井コレクションの土井は“カメラのドイ”の創始者だそうで、BMWについては、世界屈指のコレクターだったそうだが、その所蔵品は死後、堺市に寄贈されたそうだ。