【車屋四六】BMW倒産の危機・起死回生の策とは

コラム・特集 車屋四六

ドイツは日本同様WWⅡの敗戦国だが、乗用車産業など戦前無きにしも等しい日本と異なり、ドイツは世界をリードした生産国だけに、再建状態はまるで違った。

ドイツの乗用車生産再開で、名門ベンツとBMW、両巨頭の再建策には隔たりがあった。ベンツは着実再建の道を、会社の命運を危うくする道に踏み出したのがBMWだった。
ベンツは廉価版で、BMWは高級車での再出発を計ったのだ。

52年にBMW501を発表。55年に進化型502では、ドイツでは戦後初登場のV型八気筒エンジンを搭載していた。
56年、502をベースにスポーティーな503クーペ発売、そしてスポーツカー507を送り出すのである。

507は、現在コレクター市場ではトップクラスの人気者だが、手に入らないことで知られている。いずれにしても、この時代のBMWはコレクターにとって貴重品。というのも生産量が少ないから。

507に至っては、生産中止の69年までにまでに僅か252台、507は413台が生産されただけなのだから。
高級車だから生産量が少ないのではない。買い手が少なかったのだ。敗戦後の貧しいドイツ経済、高級車の需要がなかったのである。

反省したBMWは、売れる車をとミニカーのBMWイセッタを、次にイセッタベースのBMW700クーペを売り出す。
こいつは売れ行き好調だったが、高級車が生み出す赤字を改善するほどの力はない。はっきり云って倒産は目前だった。
が、へこたれずに打った起死回生の一打が、ホームランとなり、見事に甦る。

BMWイセッタ:イタリーのイソイセッタ社を丸ごと買収で再出発。独特な前開きドアが特徴

話は変わり、日本初ピンク映画の登場は62年。元ミスユニバース香取環主演“肉体の市場”が大当たり。彼女は余勢を駆って600本に出演という売れっ子になる。
つられて日本にピンク映画市場が誕生し、富士ゼロックスが国産初の複写機を発明して日本にコピー時代の幕が開き、ドイツでは問題作BMW1500が誕生したのも62年のこと。

開発主任ウイルヘルム・ホルツの傑作作品となる1500は、斬新なOHCで排気量を上回る力持ちとの評価を集めた。
またフラットなボンネットとトランク、それを結ぶ一直線のウエストライン、好視界を生み出す広い窓と特徴ある斬新スタイリングが好評で、後にBMWのマイルストーンと評価を受けることになる。(写真左:起死回生の一弾となった1500。高級車で失敗を踏まえ大衆車での再出発だから未だステイタス性はない)

1500は、やがて1800、2000に進化する。前者は1773cc90馬力、後者は1990ccで90馬力、最高速度はそれぞれ165㎞、168㎞。
実は1500のエンジンはラフで評判が悪かったが、スムーズに回る1800の登場で一気に人気が高まったと云われている。

66年頃にベルリンを訪れた。ベルリンオペラ東京公演のたびに、毎晩銀座を飲み歩いた友人、主席トロンボーンのオースト・ヘルグートに会いに行ったのだ。
そこで彼がいみじくも云ったのが「VWは見るからに安っぽい・で見栄っ張りはBMW1500を・貧乏に変わりはないのだが」と。

いずれにしても、反省したBMWは、思い切りよく高級車を捨てて、大衆車からの再出発で成功。やがて3シリーズが生まれ、5になり7が生まれ、再び高級車市場に甦るのである。

二座席イセッタ250cc→300cc→四座席600ccへと進化、それをベースに開発されたのがBMW700で好評だった。そして次のステップ1500へ