【車屋四六】チェコスロバキアの車

コラム・特集 車屋四六

これは62年の広告。掲載紙は思い出せない。62年は昭和37年、戦後初の国産旅客機YS-11完成、鈴鹿サーキットで一躍名を上げるフェアレディー1500が誕生の年。
62年最大の話題は、パスポート無しでビクビクと渡米したのが堀江健一。…ヨットで世界初太平洋横断一人旅の偉業だった。

この広告は、東京日通自動車のもので、扱い車種はロールスロイス、ローバー、ランドローバー、そして今回話題のスコダ。
前記車種は60年の資料ではエージェントが朝日自動車で、広告が62年だから、この間に代理権が移譲されたものと思われる。

日通というと、大運送業者の日通が思い浮かぶ。が、日通は子会社の大洋自動車がシボレーのエージェントだから、ヤナセがベンツでウエスタン、ルノーで北欧など、別会社を作りエージェント契約しているのと、同じような形態だったのかもしれない。
また、朝日自動車まるごと買収した結果かも知れない。

スコダ(チェコ語でシュコダ)の生まれはチェコスロバキア。が、車自体を当時の日本で見た記憶がないので、多分広告には出しても売れなかったのだろう。

チェコには、ユニークさ抜群のタトラがあり、こいつは日本で走っていた。元自動車製造のスコダ創立は1859年で、その後チェコ最大財閥に成長するが、WWⅡ後共産圏に入ると、国策で高級車はタトラ、大衆車をスコダと棲み分けるようになったようだ。

第二次世界大戦前のスコダ・スパーブ:大型でなかなかの風格の持ち主だ。撮影2009年上海モーターショー

スコダは01年に自動車製造を開始、25年に超高級車イスパノスィーザを150台ライセンス生産。WWⅠでは航空エンジンを量産。当時はオーストリアハンガリー帝国で、敗戦によりチェコスロバキア誕生となるが、会社は存続し自動車製造を続けた。

そして日本では関東大震災、欧州でルマン24時間レースが始まった23年に、乗用車スコダが産声あげる。
余談になるが、この頃ホワイトゴールド(WG)が登場する。日本で白金はプラチナだが、外国で日本人の金はイエローゴールド(YG)で、白い金はハッキリと区別されている。
WGは止むを得ず生まれた貴金属。WWⅠそしてロシア革命で、プラチナの供給が止まり、白金愛好者のためにWGが合成されたのだ。ちなみに日本では人気がイマイチだが、外国宝飾界ではYGよりWGの方が少々高値である。

さてスコダは健在で今でも生き続けている。WWⅡが終わり、会社は国営化さたが大衆車造りに専念、その時代の作が広告掲載の車。

この車、スコダ・オクタビアセダンの諸元を紹介しておこう。
全長4065㎜、全幅1600㎜、全高1430㎜、ホイールベース2400㎜。車重865kg。エンジンは水冷直列四気筒OHV 1089cc 圧縮比7.3 43馬力/4500回転。4MT。最高速度125㎞。

VW傘下に入ってからのスコダ・スパーブ現行モデル:撮影上海モーターショー

WWⅡ以前から精密機械造りには定評があり、機関銃など兵器造りでは世界トップレベルの工業力を持つチェコの製品らしく、スコダは、当時満足できる性能だったが、共産圏の車と云うことで、日本では人気を得られなかったのだろう。

WWⅡ以後長らく続いた東欧鉄のカーテンが破れ、共産圏からの解放で、91年にフォルクスワーゲンの傘下に入り、現在、順調発展を続けている。