【車屋四六】時計のロールス・ロイス

コラム・特集 車屋四六

ロレックスは誰でも知っているが、パテクフィリップを知る人は時計に詳しい人か高級品マニアということになる。
もし時計に相撲番付表のようなものがあれば、間違いなく東正横綱格で、ロレックスより数段上位のはずである。

バブルが膨らんだ頃、ロレックスの金無垢は400万円近かったが、パテクフィリップの同格品は更に50万円ほど高かった。
写真は70年頃のパテクフィリップのカラトラバモデル18金ホワイトゴールドのブレスレット一体型で勿論ゼンマイ式。ブレスレットを除きカラトラバの基本的デザインは今でも変わらない。

1970年頃のパテクフィリップ:カラトラバモデルはベゼルがホブネイル(火造鍛造くさびの頭)で飾られるが、写真のは文字盤+ブレスレット総てが微少なホブネイルの集合である

パテクフィリップと同じ思想を自動車業界で探せば、ロールス・ロイスである。両社、業界最古参ではないが、高級品だけを生産、安物や普及品がないということで共通する。

夏目漱石の“坊ちゃん”が発表された1909年、最高品質機能を追求する職人ロイスと英国貴族ロールスが出会って、ロールス・ロイスは誕生した。(トップの写真は、ロールス・ロイスでは有名なシルバーゴースト)

パテクフィリップも、天才職人と貴族との出会いで誕生。
帝政ロシアに反抗ポーランドを捨てたパテク伯爵が、待望の竜頭式時計をパリ万博で見つけたのは、オランダのヴィレム国王が幕府に開国を勧告した1844年(弘化元年)のこと。

当時の時計は、小さな懐中時計でも鍵を刺してゼンマイを巻いた。その面倒を省く長年の夢を竜頭で解決したのが、仏国時計職人フィリップだったのだ。

伯爵はブレゲと並び称される天才職人フィリップを口説き落として、パテクフィリップ社が誕生するのが1851年(嘉永4)のこと。
ちなみに現存する高級ブランドの最古は、1755年創業のバセロンコンスタンチン(最近はバシュロンコンスタンタン)。バシュロンは仏時計職人。コンスタンタンは後に経営参加する仏貴族。

ちなみにフィリップは41年に竜頭開発、46年独立分針、51年フリーゼンマイ、と近代的機構を矢継ぎ早に連発、51年にロンドン万博で金賞受賞。その金賞時計を英ビクトリア女王が早速お買い上げ。

で、英王室ご用達の威力は大したもので、オーストリア女王、独ウイルヘルム大王と顧客が増えて、王侯貴族上流社会でのブランド確立に成功するのである。

民間富裕層にもファンが増えて、ワグナー、チャイコフスキー、トルストイ、スターリン、アインシュタイン、ディズニー等々、数えれば枚挙にいとまがないほどである。
お買い上げ品は、顧客名、製品番号、納入日など、パテクフィリップのジュネーブ本社台帳に記載保管されている。

昔TVで見たことがある。スーパー八百半(ヤホハン)全盛の頃「取引先の香港財閥当主から友情の印と贈られた私の宝物」と和田一夫社長自慢の一物が、パテクフィリップだった。

パテクフィリップの特徴は、総て手作り。精密に仕上げられた部品の最終工程では、朴(ほう)の木で磨きを掛けるそうだ。
かなり高級品でも量産品を顕微鏡で見るとギアにバリがあるので驚くが、パテクフィリップやバセロンコンスタンチンのギアがツルツルなのに感心したことがある。

そんな作業で一流職人が一個一個手作りでは、一個に半年以上、複雑時では一年以上もかかるそうだから、年間生産量も知れたもの、高額になるのも致し方ないことである。(写真右:スケルトンのバセロンコンスタンチン:ベゼルにダイア、鳥をモチーフの手彫り彫刻の最上等品。多分数千万円。)  ちなみに、昔の番付表での横綱格は、上記パテクフィリップ、バセロンコンスタンチンとオーディマースピゲの三社。最古の老舗1735年創業というブランパンや1755年創業のブレゲ社は、惜しいことに歴史が中断しているのが残念だ。

とにかく、パテクフィリップとロールス・ロイス、最高のみを目標に生き続ける、貴重な存在である。

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