【車屋四六】1996年ルノーが面白くなってきた

車屋四六 コラム

現在ルノー社は、ニッサンと兄弟の縁を結び、日本市場でシェア獲得に邁進しているが、WWⅡ以降の日本市場では、流浪の民のような存在だった。

96年、本紙に面白くなったと書いたのは、長年の流浪の民に終止符が打たれようとしていたからだ。というのも94年に不振のJAXから輸入権を業界のドン、ヤナセが獲得してフランスモータースを設立、本格活動を始めたからである。

96年の本紙掲載記事。写真は69年晴海外車ショーで撮影のルノー16TS

さて、本家ルノーの誕生は1898年。273cc1.79馬力3MTは、史上初のシャフトドライブ。そして死者続出で都市間レースが終わり、世界初サーキットレースのフランスGPの優勝がルノーだった。

偉大な技術者であり経営者のルイ・ルノーは、WWⅡ中のナチ協力者として逮捕され、45年10月25日獄中死するが、会社はドゴールにより国営化されて戦後を再建し、生き延びる。

戦前のルノーは豪華大型車を得意としたが、47年登場の4CV以来、小型経済車で復興街道を走り出した。日本でのルノーは、日野自動車の4CVノックダウン→国産化で知名度が上がり定着する。

4CVの日本登場はNHKとNTVが本放送開始の53年(昭28)で、同年日産オースチン、いすゞヒルマンも登場する。純国産では、トヨペットスーパー、ニッケイタロー、オートサンダルが登場。

世界的傑作4CVも、RRではスペース効率が悪いと180度転換のFWDルノー4登場が61年で、68年に6に、70年に12と進化を続け、今回取り上げる16の登場が65年のジュネーブショーだった。

65年というと、南海ホークス野村が三冠王、名神高速全通、日本のモータースポーツに火が点いた頃である。
トヨタS800、シルビア、コンパーノスパイダー、コンテッサ1300クーペ、コロナハードトップ、ファミリア1000クーペ、コルト800、登場した純国産車は、どれもがスポーティーさを誇っていた。

流浪の民になる前のルノーは、もちろん日野自動車販売が輸入元だったが、モーターマガジンへの試乗記のためルノー16を引き取り行った先は、千代田区三年町の貿易会社タバカレラだった。

16TSとの初対面は69年、晴海の輸入車ショーだが、この時点での輸入元はフランスルノー(株)。登場したての16は、1470cc55馬力だが、僅か980kgという軽い車体で加速感に不満はなく、最高145㎞を可能にしていた。

が、元気の良いヨーロッパオーナーからはパワー不足と云われ、68年にTSが登場する。エンジンは14565ccになり、名手ゴーディーニのチューニングで、85馬力を絞り出し、最高速度も165㎞と100マイルの大台に乗る。

もっとも私の試乗感では55馬力で十分だと思った。当時の日本の道路では、東名高速を除いては、そんなに早く走れる環境は整っていなかったからである。

その頃の広告“FFを最大限に生かした広い室内・燃費11km/ℓは三年走っても変わらない・前輪ディスクブレーキ・ブ厚いシートはロールスロイス並・停車中も送風する電動ファンで雨の日もさわやか・密封ラジェーター・ノングリースアップ”等と威張っていた。

もっとも、ようやくスポーツ熱が盛り上がった日本では、スペース効率や燃費の良さなどは理解されず、舶来が好き、ルノーが好きという一部のファン以外に興味を持つドライバーは居なかった。

東名が全通した69年に登場した日本車の顔ぶれを見ても、スカイラインGT-R、フェアレディーZ、ルーチェREクーペ、ホンダ1300など、国際的レベル評価でも、スポーティー度抜群の顔ぶれが続々と登場した年でもあった。

アポロ11号が人類初の月面着陸に成功。日本の経済白書は豊かさへの挑戦を宣言、企業はモーレツ時代、民間では漫画ブーム、寅さんの“男はつらいよ”シリーズがスタートした年でもあった。

凱旋門を遠目に70年頃のシャンゼリゼ通り左にルノー16。当時フランスではオレンジ色のヘッドランプが義務付けられていた

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