【車屋四六】フ抜けになったマスタング

コラム・特集 車屋四六

1973年型フォード・マスタングの写真がある。93年頃ロサンゼルスの路上で見掛け、懐かしくシャターを切った。出たばかりの頃、友人の愛車を預かり乗っていたことがあるからだ。
73年=昭和48年とは、ウオーターゲート事件がニクソン大統領の命取りに。が、アメリカばかりか日本も含めて世界中が騒然となった石油ショックの年でもある。

ガソリン値上がりは覚悟したが、騒動の波及効果は凄かった。日曜祭日給油所休業、灯油値上がり、タクシー休業などは石油関連ゆえ納得だが、紙不足で出版社困惑、トイレットペーパーに主婦殺到で日本中売切れ状態、洗剤パニック、塩や砂糖までなくなった。
反面、七輪業者万歳。灯油不足で人気復活→品不足→値上りで、都会から消える寸前の甦りだった。若者は深夜放送自粛で落胆、翌年には東京モーターショ-中止で、以後隔年開催になる。

フォード・マスタングの初代登場は55年。美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみ、三人娘大活躍の頃だった。当時はマスタングではなく日本語はムスタングだった。

初代マスタング/トヨタ博物館蔵:儲け頭マスタングの企画は社主フォードに嫌われてクビになりライバルのクライスラー社長に就任するアイアコッカというのだから皮肉なもの

その後マスタングはモデルチェンジごとに強力豪華に成長するが、73年型で様変わり。姿は72年型と同じでも、360馬力もあったパワーが、極端に低下してしまった。

が、これも石油ショックのせいと思ったら大間違い。原因は排気ガス規制だった。
世界中をてんてこ舞いさせたが解決技術が見つからず、マスキー法75年規制実施1年延期。世界中が対策に明け暮れ、それに省エネ規制も加わり、大排気量&大馬力が目の仇にされた。

が、世界中困惑の排ガス対策技術で日本は世界をリードしていた。ホンダからCVCC、マツダもRE用REAPSを、世界に先駆け完成発売、世界に胸を張った時期でもあった。

73年型マスタングは、13万4800台を販売した人気者だが、その中で写真のクーペ($3100)は、1万8200台という人気者。
全長4850㎜、WB2725㎜で3種類のエンジンが選べた。6気筒4000cc88馬力、V8-4832cc135馬力、V8-5616cc158馬力。でも1年前には360馬力もあったのが嘘のようだ。

が、馬力は低下してもブランド力と精悍スポーティーな姿で人気低下は避けられた。また馬鹿力時代と比較しなければ、大排気量ならではのトルクはある程度健在で、加速感に不満は生じなかった。

が、やはり大きな体に低馬力では不満もあったようで、74年のフルモデルチェンジではダウンサイズ軽量化したが、次の79年のフルモデルチェンジでは更に小柄になる。

だからロスで撮ったマスタングは、馬力低下は仕方ないにしても、堂々のビッグサイズだった姿をしたマスタングの、最終モデルだったことになる。

このマスタングのファストバック姿は、日本のカーデザイナーにも多大な影響を与えたようで、例えばトヨタの人気者セリカにリフトバックが登場したとき、誰が見てもミニマスタングだった。
また、三菱ギャランGTOなどもそっくりである。

ギャランGTO:DOHC高性能エンジン搭載でマニア憧れの一品だったがなだらかなクーペの姿は前からも含めてムスタングを連想させるた

この頃、スカイラインGT-Rは七代目になっていたが、憧れのS20型DOHCエンジンが排ガス対策に耐えきれず、途中から姿を消した。で、名物GT-Rが日産に甦るのは89年、実に16年の歳月を要するのである。

ロスの写真を撮った73年=昭和48年の日本歌謡界は、デビューした山口百恵が森昌子、桜田淳子と組んでの中三トリオ。男の方は西条秀樹、郷ひろみ、野口五郎が新御三家と呼ばれて人気者だった。

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